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9月30日(火)

喜納昌吉&チャンプルーズの新作「すべての武器を楽器に」購入。今度はコロンビアからの発売で、レコード会社はたしか6社目では?移籍王・ムーンライダーズ(現在10社目?物色中)もうかうかしていられないですな。競っても困るけど。
○このアルバムに迎えられているプロデューサーは、OTO、S−KEN、白井良明。ワールド・ミュージックに造詣の深いOTOは納得だが、後の2人はかなり意外だ。OTOは打ち込みのサウンドでリミックス感覚、S−KENはリズムやステーィル・ギターなどで工夫してはいるが控えめ、白井良明はギターを真ん中に据えたスケールの大きいサウンド、という各人各様のアレンジ。チャンプルーズの最近作は再録が多くて食傷気味だったが、このアルバムはかなり風通しが良くて、いい意味の軽さがある。また、バンド自身によるアレンジの曲も出来がいい。聞き物は、中国音楽と溶け合ったラストの「アジアの花」かな。
○「GON!」から飛び出した「COMIC GON!」第1号を買ったのだが、てっきりマンガ雑誌だと思っていたのに、マンガ関係のゴミ情報誌(もちろん誉め言葉ね)だった。結構面白そうなのだが、とにかく情報量というか活字が多くて、時間の足りない僕はいつ読めばいいのやら。



9月29日(月)

○昼休み、踏み切りで電車の通過待ちをしている時、ふと気付くと腕時計が消えていた。数日前から時計のベルトが切れ掛かっていたので、そろそろベルトを変えなければと思っていたところだったのだ。もしどこかで落としても、落ちた音で気付くに違いないと考えていたのだが、あいにく街中ではこれっぽっちも音がしなかった。見通しが甘かったなぁ。
○終業後、人に会いに横浜へ行ったところ、待ち合わせの時間よりも早く着いたので、腕時計を探すことにした。ところがないんだ、売ってる店が。横浜駅構内から続く地下店街には、僕が求めるような安物の時計は、残念ながらなかった。歩き回ってたら頭がぼんやりしてきて、腕時計ってどこで売ってるのかホントにわからなくなってきた。
○新ページは、評論やガイドなどコミック関連書籍のページが完成。でも10月1日には間に合わないので、開設は10月10日を目標にしました。これ以上遅くなることはたぶん…。
○ネットスケープは、もう一度再インストールをしてもダメ。今度はプロクシを通さなくても接続が出来ない状態になって、「自動でプロクシを設定」にするとOK。なんなんだよ、これ。
○一昨日のウィーンからのエアメールに引き続き、今度はシンガポールからエアメールが届いた。こちらは大学時代の先輩から。関係無いけど、僕が学生時代にインドネシアに行った時使った中華航空とガルーダ航空って、両方ともその後に、墜落事故を起こしてるんだな。偶然とはいえ、少し恐い。



9月28日(日)

○書き上げた新ページ用のコミック評をレイアウトして、一応ページを完成させる。その勢いを借りて、音楽コーナーのライブリポートも完成。しかし、本&雑誌、イベントのコーナーは手付かずの状態なので、10月1日の開設は無理っぽくなってきました、スイマセン。
○今日はSo-netがつながると思ったら、今度は途中で切断されまくり。1年半ぐらいSo-netを使っているけど、こんな状態初めてだ。特に、5MBぐらいあるでかいファイルのダウンロード中、あと10分ぐらいというところで突如切断された時には、もう泣けてきた。
○しかも夜中には、ネスケでプロクシ接続ができなくなってしまった。ブラウザが落ちるようなページに行くとたまにこうなるのだが、それにしてもネスケはやわ過ぎる。これで商品なのかよ〜。
○明日再インストール作業をするのも面倒なんで、午前1時半くらいから再インストールを始めたのだが、それでも状況が改善されない。ブックマークを全部消してまでしたのに。ならばWindowsのプロトコルの問題かと思い、TCP/IPを入れ直したのだがこれでも同じ。プロクシを使えず、しかもネスケを起動すると接続画面が表示されるという状態のまま、諦めて寝ることにした。すでに午前2時、明日が仕事の身には時計を見るのが恐い時間だった。
○普段はブーブー言ってても、最後はSo-netのサポート・センターに頼ってしまう気なのが、我ながら情けないなぁ。



9月27日(土)

○昨日に引き続き、新ページ用のコミック評を書き続ける。たくさん書いた気もしたが、数えてみたら15冊分しかなかったのだが。
○絵ハガキがエアメールで届いたので誰かと思ったら、大学時代の女友達からだった。遅い夏休みを取って、ウィーンに行ってきたらしい。豪勢な話だねぇと思いつつ、地図帳でウィーンがどこの国の街かを確かめてしまった。
○夜はIRCで、北海道の友人と1時間半チャット。NIFTYより安い料金で、それ同様のチャットが出来るんだから便利だ。
○久しぶりにNIFTYを覗いて、マンガフォーラムに行ったところ、とり・みきのサイン会の情報があって大喜び。こんな機会は滅多に無いからだ。しかし、10月11日(土)ジュンク堂池袋店…この日って何かあるような気が?と考えたら、友人の結婚式の日だった。披露宴から出る僕は、どう考えたって行けっこない。一瞬大喜びしただけに、無念さがより深いものになってしまったのだった。



9月26日(金)

○作成中の新ページ用に、マンガのレビューを描きまくる。意外とさくさく進んで、半分ぐらいは書き上がってしまった。CDレビューで慣れたかな。
○使えないのは重々承知のSo-netだが、今日は本当にマイった。テレホーダイの時間帯につながりにくいのはいつものことだが、午前0:50分頃から掛けても全くつながらない。隣の市のアクセス・ポイントに掛けても同じ状態で、途中諦めてNIFTYでもやろうと思ったが、こちらもつながらない。ひどい状況だ。結局So-netにつながったのは、午前2時近くになってから。余りにひどい事態に、本気でSo-net脱出を考え出した。もっとも、ホームページ群の移転を考えると頭が痛いのだが…。
○また、接続を何度も試みている最中に思ったのは、所詮インターネットも接続できなければ何も出来ないということ。至極当たり前のことだが、接続拒否を繰り返されつつ、そんなことを改めて痛感させられてしまった。



9月25日(木)

○夜はロフトプラスワンでやるサエキけんぞう&白井良明のイベントに行こうと思っていたが、仕事が忙しいし、気分もだるくって帰ることにした。もっとも、ただ帰るのはなんなんで、渋谷に寄る。ハイポジの新作「house」と、やっと輸入盤が入荷したビョークの「homogeniuc」、そしてTeenage Fanclubの「Songs From Northan Britian」を購入。本屋では「危ない1号」第3巻も買った。
○さらにCOMIC STATIONへ行くと、知り合いの加賀美ふみをさんの輝かしきデビュー単行本「GIRLFRIEND ARMY」が15冊も積まれてるじゃないか。自分のことのように嬉しくなってレジへ持っていったものの、いかんせんレジが2人とも女の子だったので照れくさかった。そう、このマンガは成年コミックなんですね。でもエロ描写抜きで読んでも爽やかな青春モノなんで、書店で見かけたらお手にどうぞ。少し恥ずかしくてもそこはガマンってもんで、一気にレジまで行きましょう。



9月24日(水)

○湯浅学「音海」読了。「夜明けの音盤ガイド」というサブタイトルの通りの音楽評論集なのだが、普通のレコードガイドだと思ってかかると、肘鉄をくらわされる。「俺は想像力の入口や出口の設計をすることにばかり興味が向いてしまいがちだ」と語る彼の文章は、音楽から受けるイメージを巧みに表現した形容が渦を巻いている。音楽性や歌詞についての単純な解説に頼らなくても、読み手の内耳にしっかり音を響びかせてくるのだから見事だ。溢れるイマジネーションは猥雑にして美しい。湯浅学は詩人なのだ。
○同時に、彼は最も信頼できる音楽評論家のひとりだ。自分の中の宇宙と響き合う音楽ならば、世間じゃクズ扱いされるようなEP盤まで取り上げる。特別扱いされているのも、藤本卓也・勝新太郎・裸のラリーズという濃すぎるメンツだ。また、ローリング・ストーンズ、フランク・ザッパ、ニール・ヤングという、うかつに取り上げたらやけどしそうなアーティストのほとんどの作品を紹介しているのも凄い。人情と男気の著述家と言ってもいい。
○まぬけ美を体現する装丁も素晴らしい。彼の思想が全編に貫徹している本なのだ。



9月23日(火)

○友人が創作オンリーのイベントに出るというので、近場だということもあり行ってみた。要は、オリジナル作品のみの即売会。降りる駅を間違えて、小雨の降る中10分以上とぼとぼ歩くはめになった。早くもわびしい。会場に着くと、雨のせいか人出が少なく、こちらもわびしい。一通り見た後、友人に挨拶して、来て1時間もしないうちに会場を後にする。買ったのは1冊だけで、何しに来たのか自分でもよくわからなかったが、こういう場合はあまり深く考えずに、さっさと帰るに限る。
○で、会場を出て信号を待っていると、眼鏡を掛けた痩せ型の男性2人が近付いてきた。「いま、そこの建物でセミナーしてるんですけど、いかがですか」「何の為に生きるのか、っていうテーマなんですけど」。おいおい、今時分じゃオウムですらエヴァ上映会ぐらい語って布教活動してるんだぜ、そんなにモロで人なんか連れ込めるかよ。…ターゲットにした人間の層は間違ってないかもしれないがな。調子のいい時なら彼らの相手をしてもよかったんだが、冷たい雨の中ではそんな気分にもなれず、信号が青になったのと同時にその場を去った。肌寒い1日で、降り続く雨にだるい気分だけがどんどん増殖していった。



9月22日(月)

○最近またSo-netがつながらなくなってきた。テレホの時間帯、特に11時から1時ぐらいまでの間に接続することはほとんど絶望的で、この日記の更新すらままならない。おかげで睡眠時間も削られ気味だ。So-netってのは、回線が混雑すると増強、増強するとまた混雑…と何回繰り返せば気が済むのやら。学習能力がないのか!と、つながらない回線にいら立ちながら毎晩思っている次第なのだ。
○ところで、いま秀和システムという会社から「So-netライフ」というムック形式の本が出ている。要はSo-netの太鼓持ちみたいな内容で、プロバイダー選びに迷う初心者をだまくらかすための本だ。で、そんな本にマニアの受難が紹介されていたりする。数ヶ月前ライターの人からメールが来て、あまり深く考えずにOKしてしまったのだが、今考えると、そんなSo-netの思惑に荷担してしまったのではないかと不安になってしまう。ちなみに1ページ丸々使って紹介されているものの、恐ろしくすきまだらけのレイアウト。やっぱメールでのインタビューじゃ、文字量が足りなかったみたいだなぁ。



9月21日(日)

○夕方から同人方面の知り合いたちと飲み会。このメンツで集まるのは3回目ぐらいだし、この日のための上京組もいたりで、すっかり盛り上がってきた。僕もすっかりテンションが上がって、わけのわからんことを口走りまくり。「酔ってる〜」とか言われたのだが、本当は目茶苦茶ハイになっていただけなのだ。確かに僕は下戸で、グラス1杯半のビールでレッド・ゾーン突入なんだけどね。
○ちなみに、その場にいた健全なる男女8人のうち、ほとんどの人がカーネーションのファンで、僕もその1人。ところが、渋谷のタワーレコードで彼らの新作を買っておけば、ミニ・ライヴの入場券をもらえたと聞いて大ショック。なんで俺は昨日新宿のタワーで買ってしまったんだ。だいたい、去年渋谷タワーで彼らのミニ・ライヴを観たんだから、気付いてもよさそうなもんだよなぁ。これから買おうっていう東京近郊の方、渋谷のタワーで買って、僕の分までミニ・ライヴを楽しんできて下さい。ああ悔しい…。



9月20日(土)

○新宿まで行ったついでにCDを買いまくる。カーネーションの「ブービー」、ボアダムスの山本精一率いる羅針盤の「らご」、STEREOLABの「DOTS AND LOOPS」、キューバのベテラン・ミュージシャンによるバンド・AFRO CUBAN ALL STARSの「A Toda Cuba Ie Gusta」などの新譜を購入。また、友人に強く勧められていたTHE MILLENIUMの「BEGIN」、やっと見つけたCANの「MONSTER MOVIE」などの旧譜も買った。TEENAGE FANCLUBは買おうにも金が尽きて、ビュークは輸入盤待ちすることに。
○今作成中の新ページの音楽コーナーには、レヴューしたCDのジャケット画像を全部載せる予定でいる。そのため、帰ったら帰ったで、こんどはスキャナーをフル稼動。30枚以上もスキャンしたので、僕のスキャナーもスキャナー冥利に尽きただろう。16MBのメモリが持ちこたえてよかった。もっとも、先日6MBに増やしたホームページ容量がすぐ満杯になってしまわないかが、目下の心配事なのだが。



9月19日(金)

○町田康「くっすん大黒」読了。今まで彼の音楽や文章をいまいち楽しめなかった僕だが、この本は一気に読んでしまった。町田康の文章は一文が妙に長いのだが、その独特のリズムに慣れると非常に気持ちいい。こういった文体を操れるには、実はかなりの力量が求められるに違いない。彼はそれでスイスイ読ませてしまうんだから。そして主人公は、細かいことは気にしないぐーたらな男で、つまり町田そのものの。これがまた魅力的で、つまりは町田の魅力ということか。その主人公が出会う他の登場人物は、居そうで居ないタイプの奇人ばかり。こんな人間たちを描ける町田は、普段からこんな人種に出会うことが多い宿命なのか、あるいは観察眼の鋭さのなせる技なのか。
○本の帯では、福田和也が作家・町田康の文学史的位置づけについて論じているが、そういうことついては僕はよくわからない。それでも、貧乏臭くて泥臭い物語を、とぼけたユーモアで包んで語る巧みさには、すっかり魅せられてしまった。
○それにしても、僕もこの物語の主人公のようにその日暮らしができたら楽だろうなぁ。無理なんだろうけどさ、この細い神経じゃ。



9月18日(木)

マニアの受難の掲示板「マニアの受難黙示録」を今日付けで閉鎖した。5月28日の開設以来毎日のように書き込みがあり、完結編の公開で狂騒のピークを迎えたものの、最近では週に1人程度まで減っていたことも理由のひとつではある。内容も「秋が来たねぇ、祭も終わりだよ」ってな感じで、祝祭の終焉を感じとったものばかりだったし。完結編公開直後には1日500HIT以上を記録したページのカウンタも、エヴァ狂騒が落ち着くにつれ、最近では150HIT程度まで落ちてきたのも事実だ。「マニアの受難」は自称サブカル系ということもあり、ページの来訪者も「後にひかない」タイプ人々だったのだと思う。そういう意味では、書き込みが減ったのもごく自然な流れだった。
○ただ、僕の中にはもうひとつの理由もあった。そろそろエヴァ関連の活動を終えるべきではないか、という思いだ。「気持ち悪い」の一言をもって庵野監督がエヴァを封印した以上、エヴァをめぐる状況を捉えようとした「マニアの受難」も役目を終えたのではないだろうか。少しおおげさだな。でも、ひとつ区切り打つなら今だろう、と感じたのだ。
○僕の中でのエヴァの終結は、8月20日だった。「もののけ姫」を観たものの何か物足りなくて、結局3回目のエヴァ完結編を観てしまった日だ。ちょうどその日は、僕が取材を受けた「SPA!」の発売日でもあり、当初の予定通り名前はなかったものの、そこには僕のコメントが2ヶ所に掲載されていた。別冊宝島の件といい、エヴァのおかげで、ずいぶん楽しい目にあったもんだ。エヴァ自体も見事な終劇を迎えてくれたし。そう考えると、この日、自分の中でエヴァに対する区切りが付いたのだ。
○そんなわけで、今後はデータ・ベースとして公開を続けることにした。リンクの申し込みがあった場合には更新するものの、基本的に今後の更新はなし。エヴァ風にいえば、「活動停止、生命維持モードへ移行」ってな感じ。もし更新するなら…庵野監督の次回作「LOVE & POP」公開時かな?
○エヴァ関連の掲示板につきものの「荒らし」に遭うこともなく、機知に富んだ人々に書き込んでもらってその一生(?)を閉じた「マニアの受難黙示録」は、極めて幸運な掲示板だったと思う。書き込んで下さった方も、くださらなかった方も、今までのご愛顧ありがとうございました!本当に楽しかったです。今後は10月1日開設の新ページに力を注ぐので、そちらもよろしくお願いしますね。
○ところで、最後に余談。僕はエヴァに様々な衝撃を受けたけれど、最大のものはやはり完結編だった。それはストーリーや表現云々というより、この社会に溢れる膨大な情報を追い抜いてしまった点においてだ。エヴァは、我々の予想を大きく越えたエネルギーで自らを封印した。まるで情報を吸収して、それすら取り込んでしまうシステムであるかののように。僕らが生きるこの社会でも、情報の嵐を突き抜けていく表現は可能なのだ。情報と物質が溢れた社会にいながら、同時にある種の閉塞感や無力間にさいなまれている僕にとって、この事実は非常に衝撃的だった。それを僕自身がやることは、たぶんできないとしても。



9月17日(水)

○阿部和重「インディビジュアル・プロジェクション」読了。日頃本は読んでも小説は読まない僕が、この「九十年代新文学」(帯より)を理解できるか不安だったが、読み出すと止まらなくなってしまった。こんなこといつ以来だろう。日記形式で進むこの物語を読み始めた時には、このまま日常の書き付けばかりで終わるのか?と不安になったが、それがすべて物語の伏線だったと気付くまでそう時間は掛からなかった。まずはこの辺でビックリ。そして、「道場」と呼ばれる組織や、ヤクザ・不良といった何組もの敵を相手にして展開するスリリングさ。加えて、その「道場」が、たんなるペテン師の思いつきから始まり、カルト組織へと発展する過程の面白さなど、読者を引き込む仕掛けだらけだ。
○ただ、物語の終盤、今までの謎が実は錯乱状態による幻覚だった、というオチの安易さには首を傾げた。いや、僕が深く読み取れないだけで、本当はそうではないのかもしれないけど。また、「九十年代新文学」とはいうものの、そんに目新しい物なのか、という疑問も湧いた。極めて古典的なストーリー・テリングの手法に忠実だし。確かに、物語を貫く暴力性や、渋谷の風俗の描写に見られる過剰な情報量は、個人的には新鮮だったのだが。
○それでも、二重のエンディングによる「落とし方」も、意表を突かれた。文体のクールさも、この本の魅力のひとつだ。なにより無駄がない。詳しいことは、読んで見てくださいね。損はしないから。



9月16日(火)

ハイポジ-BODY meets SING-SWAYマニアの受難をまとめて更新。といっても、ニュースやリンクを手直ししただけなんだけど。それでもこれだけ一度に片付けると、結構手間取ってしまった。
○「ROCKIN'ON JAPAN」10月号を購入。ハイポジのインタビュー目当てなのだが、実はこの雑誌を買うのは初めて。今まで「MUSIC MAGAZINE」の文化圏にいたもんで、ロックだけの雑誌はイマイチ買う気になれなかったのだ。でもシンプルなレイアウトの誌面もセンスいいし、なにより活字量が多くて気に入った。今時の若い衆の中に、この厚い雑誌を全部読んでいるやつもいるのかと思うと、ちょっと嬉しくなったりして。オヤジか俺は。
○阿部和重の「インディビジュアル・プロジェクション」を読みはじめたら、めっぽう面白い。続きを読みたくて仕方ないが、その時間がないんだよなぁ。まいった。



9月15日(月)

○借りっぱなしだった、押井守監督「機動警察パトレイバー2」のビデオを観て片付ける。あー、こりゃもうパトレイバーじゃないよ、完璧に押井守のオリジナルだねぇ、などと言いつつ結構楽しめた。この人の世界観って、本当に一貫してるなぁ。東京を舞台にしたパトレイバーのシリーズから、「攻殻機動隊」へ発展していったのも納得だ。そういえば、とり・みきが脚本を書き上げたはずの「機動警察パトレイバー3」はどうなったんだろう?スポンサーが付かないのかな?
○出掛けて戻ると、また新ページ用のCDレヴューを打つ。この3日間で、実に50枚分のレヴューを書いてしまった。完全に躁状態に突入していたようで、テンションが高いまま突っ走ってこの有り様。何やってても頭の中はこればっかりで、我ながらテンションのアップ&ダウンが激しいたちだと思う。
○そのCDレヴューで扱ったアーティストの情報がインターネット上に落ちてないかと、検索して探しまくったりもした。マイナーなアーティストでも、世界中の誰かはページを作ってるもんで、幸運にも半分ぐらいは見つけることができた。もっとも、Yahoo!JAPANgooとにらめっこして検索方法を試行錯誤してたら、ぐったりと疲れてしまったが。



9月14日(日)

○とりつかれたようにCDのレヴューを書きまくる。CDをとっかえひっかえして、1日で20枚以上のレヴューを書いたら、最後には頭の使い過ぎで朦朧となってしまった。こんなに頭を使ったのって、大学の試験の時以来だよなぁ。回らない頭で考えられるのはその程度のことで、こんなもの書きなぐって何の役に立つのかなんて現実的な問題には、考えもいたらなかった。
○そんな状態の時にOさんから電話が掛かって来て、マニア話を1時間半。その後Kに電話して、ゴミネタで1時間。時間の感覚もすっかり狂ってきて、気が付いたら日付の変わった部屋に1人。世界から取り残されたようで、なかなか恐ろしい気分を味わった。



9月13日(土)

○やー、泣いた泣いた。なんで泣いたって、ジュゼッペ・トルナトーレ監督「ニュー・シネマ・パラダイス」を観たのだ。映画を観て泣くなんて、所詮は「感動できる自分」へのナルシズムに過ぎないと思っていたのだが、そんなすれっからしの僕の涙腺までこの映画は刺激してしまった。考えてみると、泣いたのなんて今年初めてかも。というか、前回泣いたのがいつかの記憶すらない。うーん、今年はもう泣かないぞ。
○他に観たいビデオがあったんで、新たに大型のレンタル店にも入会した。ところが、ここはファミリー向け主体の品揃えで、陳列もみんなジャンル別。探しにくいことこの上ない。しかも観たい作品がほとんど無くて、まいってしまった。かくして小津安次郎の「東京物語」は、いまだ観れないままなのだ。
○新ページの開設に向けて、CDのレビューを書きまくっている。お前が書いて誰が読むんだという疑問は棚の上に放り投げて、店の袋に突っ込んだままのCDを引っ張り出している。積まれたCDの山を崩しているので、なんか部屋が工事現場のような状態になってしまったのだが。



9月12日(金)

○今日はなんか純文学でも読みたい気分だったので、町田康「くっすん大黒」、阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」、そして随筆の名手・内田百間(←本当はもんがまえに月なのだが変換で出ない)の「百鬼園随筆」を購入。気がついたら財布の中は200円。なんてこった。
○町田康が以前「ミュージック・マガジン」で連載していた「夫婦善哉」はあまり好きになれなかった。というか、ついていけなかったと言うのが正確だろう。文体は面白いと思うのだが、どうも作品の中に入り込めないものを感じたのだ。この人の本業(?)である音楽も、「腹ふり」「駐車場のヨハネ」と聴いているのだが、これも好きになれなかった。…考えてみたら、いままでどれも馴染めないままじゃないか。今日、本を買ったことが不安になってきたぞ。
○「渋谷系文学」という凄い称号を付けられている阿部和重は、全く読んだこともない。装丁が常磐響で、表紙の写真が撮られたのが、モンド系レコード店・マニュアル・オブ・エラーズと聞いて興味を持ったのだ。こんな邪道な興味の持ち方をした読者を、はたしてこの本は受け入れてくれるのだろうか?



9月11日(木)

○前衛と呼ばれる種類の表現は、たいがい作者の気負いが透けて見え過ぎていて、見ている方が恥ずかしくなることが多い。それに成功するのは、研ぎ澄まされたセンスと、自分を客観視する能力を持ったごく一部の人間だけだ。そして、今日買った「遠くに行きたい volume 2」の作者であるとり・みきは、まさにそうした才能を持ち合わせた1人なのだ。
○といっても、この作品には、特に前衛を目指した痕跡は見当たらない。しかし、完全にセリフが無く、正方形9コマという変則的なコマ構成で描かれるこの作品が、現在の他のマンガと一線を画するのは一目瞭然だ。説明的な表現は皆無で、無音の中で淡々と展開する。これだけでも特殊だが、このマンガで描かれるアイデアが、またとんでもない奇想ばかりなのだ。沈黙と奇想。この取り合わせが、読み手に恐るべき凄味すら感じさせることになる。
○とり・みきというマンガ家の本領は、「間」の表現にある。とにかく絶妙の間合いで、読む者の感覚を揺さ振りにかかる。その間の独自性ゆえ、メジャー誌では不遇な目に遭ったりもしたが(週刊少年サンデーで連載された「てりぶる少年団」はなんと8週で打ち切り)、この「遠くに行きたい」はその完成形だ。最小限の演出で最大の効果を挙げ、無駄が全くない点にも驚かされる。完璧だ。
○僕が彼のマンガを最初に読んだのは、小学2年生の頃になる。この歳になるまで彼のマンガを読み続けているのも、実はその時のトラウマゆえなのかもしれない。しかし、僕にとってとり・みきが日本で最も敬愛するマンガ家であることに変わりはなく、彼が今も最前線を走っていることが単純に嬉しくて仕方なかったりもするのだ。ああ、いつか本人にお礼が言いたいよ。



9月10日(水)

○新聞にCOMIC BOX10月号の広告が出ていたので、さっそく書店へ。そこらの書店にはないかな?とも思ったが、エヴァ特集のせいもあってか、近所で簡単に見付かった。そして嬉々として中身を読んだのだが…。
○キツイ。なにせ、期待していたマンガ評が全くと言っていいほど無い。僕が期待していた「唯一のマンガ評論誌」としてのスタンスは、残念ながら捨てられてしまったようだなのだ。
○この「10月号」というのも呼び方からすれば月刊誌のようだが、実は昨年12月号以来の発行で、じつに10ヶ月ぶり。「もののけ姫」特集の別冊が売れたおかげで出せたのかもしれないが、このすべてにおいて中途半端な誌面は悲しくなった。エヴァ特集にしたって、なんで同人作家にページ任せてるんだよ。いや、同人作家を起用するのもいいけど、なにせ1人1ページで、なんと20ページも使ってるんですぜ。こんな露骨な誌面の埋め合わせ方で、本当に今後隔月発行できるのだろうか。しかもこの隔月発行宣言、以前にも聞かされた話なのだ。
○やっぱマンガの評論の場って、ほとんどないんだなぁ。だったらぼくが自分の新ページで…と、にわかに自分のページの前宣伝になってしまったのは御愛敬で見逃して下さい。



9月9日(火)

○仕事帰りに渋谷でCD漁り。Weenの「The Mollusk」、COLDCUTの「LET US PLAY!」、そしてアフリカのシンガーソング・ライターの編集盤「AFRICAN TROUBADOURS」を購入。ワールドミュージック関係で欲しいCDは他にもあるのだが、クアトロWAVEの撤退で、ワールドミュージック辺境の地となった渋谷では探しようもない。今度新宿まで行くかぁ。
○加えて、マニアックなCD評がたくさん載ってる「Cookie Scene」という雑誌も購入。ミニコミのようだが、レコード会社からしっかり見本盤をもらっているようだ。この辺って、どうやってもらってるんだろ?
SWAYを実に4ヶ月ぶりに更新。最近さっぱり情報がなかったのだが、杉山加奈がソロでアニメ主題歌を歌っているらしいという情報が入ったのだ。寝耳に水なんで、これにはさすがに驚かされた。また企画物か…という思いが頭をよぎったが、まずは活動再開を祝いたいところ。



9月8日(月)

○今まで僕が作成したページのうち、フレームを使ったページは実はひとつもない。フレーム嫌いなのだ。とういうのも、Internet Exploreを使っていた頃に、なぜか表示が異常に遅かったため。しかしフレーム流行りの時流には勝てず、また僕自身もブラウザをNetscapeにして普通にフレームを見れるようになったため、現在作成中のページにはフレームを使ってみようかと色気を起こした。本当は新しもの好きなんで。って、別にフレームは新しくないな。
○肝心のタグの方だが、頼みのHyperEditは、フレームをほとんどサポートしてない。仕方ないのでHTMLの本を開いて格闘すること1時間(ぐらい)。要領を覚えれば意外と簡単なのだが、その要領を覚えるのが少々大変だった。フレームを埋めたindexをフレームの中に表示すると、同じフレームがまた表示されたりで、頭を抱える場面に3回ぐらい遭わされた。あとで考えれば、単純なミスなんだけどさ。
○ところで、この日記のカウンタも今日で1万人を超えることができました。ありがとうございます。いかんせん僕の気分に左右されて振幅の幅が大きくなりがちですが、これからもよろしくお願いします。



9月7日(日)

○はっと気づくと、ハイポジ-BODY meets SING-が今日で1周年じゃないか。いやー、もうそんなにやってたのか。あのページが、本格的なページ作りの第一歩でもあったので、インターネット・ジャンキー生活1周年ともいえる。開設当初は、1日数人の訪問者数からスタートしたことを思えば、今自分が置かれている状況はまるで違う世界みたいだ。クサい話で我ながら恥ずかしいですが、あのページがもたらしてくれた多くの人々との出会いは、僕にとって誇るべき財産です。「ハイポジ-BODY meets SING-」を様々な形で支えてくださった皆さんに、心から感謝いたします。
○「ハイポジ-BODY meets SING-」の更新作業を済ませた後、「バグダッド・カフェ」を観る。どんな作品かと身構えたが、意外とハッピーな作品で、心から楽しめた。あんまりにも物語が幸せな方向に展開するんで、肩透かしを食らったような気分にもなったが、たまにはこういう作品を観るのもいいもんだ。特に、どうしてもネガティヴな性質のものを選んでしまう僕のようなタイプの人間にはね。



9月6日(土)

○レンタルで、「バグダッド・カフェ」「ニュー・シネマ・パラダイス」、そしてビートたけしの「みんな〜やってるか!」を借りる。本当は「ソナチネ」にしようと思っていたのが、1本くらいは軽いものにしようと、これにしてしまった。あと、一昨日の日記で「ビデオが出てない」と書いた「未来世紀ブラジル」は、しっかりありました。ゴダール作品も出ているそうです。嘘書いてスイマセン。
○で、まず「みんな〜やってるか!」を観たのだが、これが昔フジでやってたコントをそのまんま繋いだようなシロモノ。これ映画にしていいのか?と笑ってしまった。途中だれてウトウトしてしまったが、壷にハマって大笑いしてしまう場面もあった。もう馬鹿馬鹿しすぎ。これをカンヌで見せられた外国人は、困っただろうなぁ…なんて考えていたら、北野武がベネチアで賞をとったというニュースが。「みんな〜やってるか!」の路線だったら笑えるが、さすがに違うんだろうな。妙な希望に溢れた前作「キッズ・リターン」は、観てウンザリした記憶があるだけに、新作「HANABI」では底無しの凄味が戻っているといいなぁ。


9月5日(金)

○夜、新宿ロフトで行われた「ネオ縄文人宣言」へ。目当ては喜納昌吉のライヴだったが、他にも元赤軍派議長の塩見孝也が出るというので興味を惹かれた。要は、左翼がかったイベントなんである。
○で、さんざん待たされて開演したと思ったら、いきなり寸劇がスタート。嫌な予感的中で、これが左翼系イベント?これが市民運動モノ?と、最初からへこたれそうになってしまった。次に歴史家の佐治義彦による、縄文文化についての講演が30分。この辺で、床にチラシを敷いて座ってしまった。
○今日の一つのヤマだったのが、喜納昌吉・塩見孝也・佐治義彦によるディスカッション。この「ネオ縄文人宣言」なるイベントの趣旨を知るべく、わりかしまじめに聞いていたのだが、どうもよくわからない。いわく、原始民主制や平和さを保った縄文時代を評価し、現代に生かそうということらしいのだが…。そんなの形を変えたユートピア幻想じゃないのか、という疑問が最後まで消えなかった。この日は土偶のイラスト入りのハンカチが配られたり、縄文グッズが売られたりしていたこともあって、なおさら遅れてきたヒッピー・ムーブメントのような印象も受けてしまった。もっとも、機知に溢れた辛淑玉の巧みな司会をもっても、このテーマを1時間で語るのは無理があったようだが。
○その後元オウム信者の加納秀一と、自称アーティストのAKIRAの歌とパフォーマンス。胡散臭いこの取り合わせは、案の定最悪だった。「仏教ポップ歌手」を自称する加納の歌は、腐臭のするフォークソング。尾崎豊に自己愛200%増量って感じで、ここまでナルシズムが強けりゃ、恐いもん無しだろうという見事なシロモノ。AKIRAって奴は、自分の腕から流した血で「兄弟」と書くという、恐ろしくベタなパフォーマンス。そんなに愛を唱えたきゃ、お前らでカマでも掘り合え!と言いたくなるほど僕をブルーにしてくれた。
○その後、寿・高橋鮎男・田辺列山によるセッション。これが意外と良くて、特に寿のボーカルの女性が気に入った。決して情趣が深いというタイプではないが、厳しさと潤いを併せ持つタイプの歌声だ。メンツのそれぞれの豊かな音楽的バックグラウンドを感じさせる演奏で、かなりノッてしまった。
○最後は当然喜納昌吉が登場。高校時代から聴き続けてきた彼を、今日初めて生で聴くのである。しかもほんの数メートル先で。演奏は、喜納昌吉とチャンプルーズの石岡裕だけで行われた。バンドじゃないのか?といったんは落胆したのが、これは逆に良かった。喜納の歌う声が、弾く三線の音が、より一層の存在感で迫ってきたのだ。彼の喉から出た声の、なんとハリのあることか。この男のカリスマ性を実感させるに充分なものだった。激しくかき鳴らされる三線、宙に昇っていくかのような歌声、そして喜納が歌いながら立てる人差し指。その姿は司祭のようであり、強烈な磁場で聴衆を包み込んでいた。
○喜納のカリスマ性についてはよく語られる。しかし、喜納の本質は、そのカリスマ性をもってしても決して宗教を生み出すことのない、果てしない開放性にあると思う。喜納は、すべてを吸収する。そして、その混沌の中から歌を生み出す。今日戦慄するほどのエネルギーを感じさせたのは、この混沌から歌が立ち現われる瞬間のダイナミズムなのだ。そこには凡百の宗教が抱える閉塞感ではなく、むしろ原始的なアニミズムが持っていたであろう、強烈な躍動感があった。自らリスクを背負って社会問題に立ち向かう彼は、世界から怒りや悲しみを吸収し、自己の器を拡大し続けていたのだ。
○アジア各地で歌われる代表曲「花」を歌いながら、時には禅僧のように悟った表情を浮かべ、あるいは優しさに溢れた表情をし、そして激情を剥き出しにする。石岡裕と2人による演奏は、親密にして濃密な空気を生み出していた。そして今日語られたすべての政治的な言葉を、歌のメッセージが雄弁に追い越していった瞬間でもあったのだ。
○最後の「ハイサイおじさん」では、とうとう三線の弦を切ってしまい、三線のボディーを叩く始末。そして轟音状態へと展開したが、それでも皆が笑顔で踊る。世界一楽しいノイズだった。 ○終演後外に出ると、なんと喜納昌吉が気軽に周囲の人と話しているじゃないか。慌てて近所のコンビニに走り込んでカメラを買い、一緒に写真を撮ってもらった。最後は単なるミーハーと化したまま、終電に乗るべく新宿駅まで走ったのだった。



9月4日(木)

○先日「ベルリン天使の詩」を観て以来、急に映画を見るようになった。長時間画面の前にいるのが苦手な僕としては、人生始まって以来のことなのだ。で、文春文庫の「戦後生まれが選ぶ洋画ベストテン」って本を買ってきたのだがこれがイマイチ信頼できない。なにせ選者が、映画好きかどうかに関わらず、有名人を片っ端からまな板にのせたような人選なのだ。上沼恵美子に何を学べってんだ。高見恭子や中井美穂ってのは、編集者の好みなのか?
○それでも100作の紹介を参考に、見たい映画を選んでみた。「ニュー・シネマ・パラダイス」「気狂いピエロ」「時計じかけのオレンジ」「未来世紀ブラジル」「バグダッド・カフェ」「8 1/2」「恋恋風塵」の7本。たった7本なのかと我ながら思ったりもしたが、しかも「気狂いピエロ」「未来世紀ブラジル」はビデオになってないらしい。ゴダールの映画って、他のもビデオになっていないようなのだ。うーん、映画知らずの僕ですら知っている名前の監督なのに、残念至極。どこぞの劇場で再映とかしてるかな?
○さらに、日本映画に至ってはまだ闇の中。いい紹介本ないかなぁ。映画マニアの友人は、淀川さん(下の名前失念)の本がいいと言うのだが、何冊もあってどれがどれやら。皆さんのお勧めの映画も教えて下さいね。



9月3日(水)

○実は、今新しいページの作成に取り掛かっている。といっても、かつてここで作成を宣言した鈴木博文やとり・みきのページではなくて(…すいません)、サブカル&オタク系の総合的なページだ。これまでも作ろう作ろうと思ってはいたものの、さっぱり手につかなかったのだが、80年代の英米のアノラック・サウンドの編集盤「Take The Subway To Your Suburb」のジャケットを目にしたとたん、「このジャケットのデザインいただき!」と俄然やる気が噴き出したのだ。いつものことながら単純そのもの。
○さっそく作成を開始したのだが、まずはTABLEタグの勉強からはじめなければならなかった。よく分かんなかったのだ、これが。そして、人に勧められたHypereditをダウンロード。使ってみると、これがなかなか便利。これまですべてのページを、Windows付属のメモ帳という極めて原始的なソフトで作成してきたのだが、今までのコピー&ペーストの連続の手間が嘘のようだ。どうせ手間なんか変わんないだろうと、この手のソフトを試しもしなかったのだが、こんな便利なものだとは。火を初めて使った原始人のような気分になってしまった。
○問題のページは、10月1日に開設の予定。僕の場合、TOPだけ作って放置…というパターンが今まで何回もあったんで、あまり信用しないで待っていて下さいね。



9月2日(火)

○TBSの「ニュースの森」という夕方のニュース番組で、山田花子の特集をするというのでビデオ予約しておいた。ちなみにここでいう山田花子とは、吉本の芸人でも、阿部潤の「THE 山田家」の登場人物でもなく、特殊漫画家として生きて自殺した人物のことだ。余談だが、gooで「山田花子」を検索したら吉本の芸人関係のページばっかり出てきて、ショックを受けてしまった。
○そして問題の番組だ。「神の悪フザケ」を手にしたニュースキャスターは開口一番、「決して彼女は絵が上手いわけでも、構成力があるわけでもありませんでしたが…」などと言い出したのだ。おいおい、彼女の初期の作品だけ見てそれはないだろう。早くも苦笑させられてしまった。番組の内容は、いじめに苦しんだ女の子がマンガ家になったものの、苦しみから逃れられずに死んでしまった、かわいそうですねぇ、というもの。そんだけ。彼女の父親や、根本敬も登場したが、刺し身のツマ扱いだった。彼女の日記は、暗い声の女が読み上げ、まさにニュース番組の化けの皮をかぶったワイドショー。いじめ問題を口実にして、安っぽい演出で視聴者を泣かせようという魂胆に、辟易させられた。あまりにも予想通りだったのだ。
○山田花子の本質はそんなことではない。第一、彼女はヤンマガ時代の編集者に嫌がらせをしていたというし、単純にいじめの被害者とばかりはいえないのだ。むしろ、他人と折り合いをつけられなかったことによって、果てしない閉塞を選択し、そして自殺にいたるまでその閉塞を突き進んだことに彼女の核心はある。安手の希望にすがることなく、ひたすらに他者を拒絶して生き、絶望の中で自滅していったこと、その点で彼女は美しいのである。その彼女のパーソナリティーを如実に反映したマンガも、それゆえに美しい。たとえ、単にマゾヒスティックな喜びを得るためだけに読み手に消費されているとしても。
○死後山田花子は、自己憐憫の激しい人々にとって、自己愛の格好の投影対象になってしまった。この番組でも取り上げられた「自殺直前日記」は、高野悦子や山田かまちでは物足りないという、巨大な自我を抱えた人々に受け入れられたのだろう。ただ、山田花子を愛することを自己のアイデンティティーにすることは、もう止めた方がいい。高校生時代からヤンマガで彼女の作品を読み、過剰に反応してきた自分自身への戒めでもあるのだが。
○山田花子は自分自身の投影であるキャラをマンガに登場させて、徹底的に痛めつけた。そして、世間へも強烈な呪詛を吐いた。自分自身すら含め、すべての愚かなる人間たちを嘲笑した。彼女が生きていたら、間違いなくその矛先は、こんな番組を制作した連中に向けられていたことだろう。自滅へ向かうほどの、強烈な負のエネルギーをもって。



9月1日(月)

○新潮社から出ている「アウトフォト」2号を購入。本当に写真ばっかりで、めくっててむさ苦しいぐらいで、思わず気に入ってしまった。吉川ひなのやスチャダラパーなんかの有名人が撮った写真のほか、読者の投稿もかなりの割合を占めているのがこの雑誌の特徴だ。といっても、他の写真雑誌なんて買ったことがないから推測だけど。
○で、この読者投稿ってのがクセモノなのだ。まさに玉石混交で、安直なウケ狙いやナルシズムに首まで浸かったようなものもあるのだが、その場の空気をハッとするほどに伝えている写真もあって、少なからぬ衝撃を受けた。自己顕示欲丸出しの写真は論外だが、自然体を極めた作品や、あるいは自意識の巧みなコントロールに成功した作品は印象に残る。僕は写真を特に多く撮ることはないけれど、この教訓(なのか?)は他のあらゆる表現にも当てはまりそうな気がした。
○ここ数日、「アフタヌーン」を読み漁っていた。去年の5月号から溜まっていて、1冊1000ページぐらいある分厚い雑誌を、実に6冊読むことになった。しかし、なんとかたどり着いた最新号の10月号には、四季賞というマンガ賞の大賞作品が載っていて、これがそんな疲れを忘れさせてくれるほどの傑作なのだ。世間のあらゆる物にチャックが有り、その中には何もないことに気がついた中学生の物語「チャックのある風景」は、絵も構成も見事というほかない。作者の博内和代って人は、どこからこんな豊かなイメージが湧き起こるんだ。不思議で仕方がないのだが、それはやはり「才能」と呼ばれるものなのだろうなぁ。気になった方は書店へどうぞ。
○それにしても、これでやっと「アフタヌーン」をリアルタイムで読める。まさに夢の生活。どんな生活だよ。




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