小心者の杖日記

2012年9月23日

おながわ秋刀魚収穫祭@女川町総合運動公園第2多目的運動場

 「おながわ」という地名を僕が口にしたのは、2011年にカーネーションの直枝政広さんにインタビュー取材したときが初めてでした。東日本大震災後にリリースされた「UTOPIA」には、直枝さんが学生時代に訪れた女川の記憶に捧げた「女川」という楽曲が収録されているのです。

 その後、いくつかの縁が重なったのに加えて、BiSと中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオが対バンすることになったというので、「おながわ秋刀魚収穫祭」のため女川町総合運動公園第2多目的運動場へ行ってきました。出演者の発表と同時に行くことを決めたのですが、最寄駅であるはずの女川駅も津波の被害を受けていることを、交通手段を調べるうちにGoogleマップで知ることになります。

 朝6時台の新幹線で東京駅を出発し、仙台駅に到着。4年ぶりの仙台です。そこから在来線に乗り換え、東北本線で小牛田駅まで行き、そこから石巻本線で渡波駅へ。津波のため電車が通行しているのはここまでで、ここからは代行バスで女川まで行くことになります。「Yahoo!路線検索」と「えきねっと」の新幹線予約だけが頼りだったのですが、なんとか無事に乗り換えられました。iOS6のマップも意外に役に立ちます。

 女川へ着くと、ほどなく幾度となくメディアで見てきた、あの基礎から倒れたビルが視界に入ってきました。バスはその横を通過します。ガレキはだいぶ運ばれたようですが、ほかにもいくつかの倒壊した建物がそのままあり、その度に不意を突かれたかのような気持ちになりました。


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 会場にやっと着き、すでに到着していたカズキさんと合流。あの光景に研究員(BiSヲタの総称)もBiSのメンバーもショックを受けてしまうかもしれないけれど、我々はいつも通りにやらないとね......と話していたのですが、ステージでの「破牙神ライザー龍 ショー」では震災に触れていたり血祭りだと言っていたりで、自分が気にしすぎなのかもしれないとも思いました。

 サンマが無料で配布されているコーナーで焼かれていたのはなんと3000尾! 壮観です。


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 そして「おながわ秋刀魚収穫祭」のスタッフである蒲鉾本舗高政の高橋正樹さん、青木さんと念願の対面!


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 「女川港大漁獅子舞まむし」が披露されている間はまだ雨はポツポツ降っている程度だったのですが、「復興応援!おながわ夢の歌謡ショー」の音響チェックが終わったところで突然の豪雨。会場が一瞬にして広大な池のようになりました。

 しかし、地元の人は僕らよりも冷静なのです。そして気づいたのでした。この土地の人々は、あの津波を経験したのだからゲリラ豪雨ぐらいでは動揺しないのだ、と。

 結局30分遅れで「復興応援!おながわ夢の歌謡ショー」は開始。豪雨の間、傘を差したまま椅子に座っていた人も多く、演歌の力を本気で感じました。


復興応援!おながわ夢の歌謡ショー

特設ステージ 11:50-13:50

大月みやこ
堀内孝雄
西尾夕紀
谷本知美
山口ひろみ
千田裕之
みやさと奏
特別ゲスト...徳光和夫

(協力:一般社団法人日本音楽事業者協会、北島音楽事務所)


 堀内孝雄と大月みやこという大物がまず最初に登場して観衆の心をつかむ構成。徳光和夫は歌手にフルネームを言うように促したり、迷子の子供の呼びかけをしたり、「ズームイン!」と言ったり、「音事協があって日本のエンターテイメントがある」とドゥープなパンチラインをブッ込んできたりと、場慣れが半端ではありません。感服。出演者のうち、千田裕之は震災当日に宮城県名取市で歌っていたシンガーソングライター。みやさと奏は岩手県宮古市の出身。


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 堀内孝雄の「愛しき日々」と生の「センキュー!」に高まっていたら、リクオさんもカメラ片手にステージ前に来てさらに高まりました。この枠のトリは大月みやこ。彼女が終わった段階で、会場はこんな状態です!


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 BiSはステージの雨の拭き取りなどで15分遅れるとのアナウンスが。ステージ前が泥沼化したために、その間に研究員はブルーシートをステージ前に移動する作業を行いました。高橋さんの「何してもいいです、僕がなんとかします!」という力強い言葉、ありがたかったです。なぜか女川町長までBiSを見に来る状況に。

 そしてリハーサルの段階でこんな状態。この段階で泥まみれ!


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 そして今日は、「太陽のじゅもん」の前に女川の女の子から女川さいがいFMへ寄せられた手紙が読まれました。曲の歌詞に、津波で亡くなった友達が自分に言ってくれていたことを思い出して泣いてしまった、彼女は津波で亡くなって自分だけが高校生になった、友達にこの素敵な曲を聴かせてあげたい、曲名を教えてほしい、という内容の手紙です。

 だから今日の「太陽のじゅもん」は鎮魂歌であり、ヲタは誰も口上もコールもしませんでした。こんな光景は最初期(2011年2月頃)以降で初めてのこと。

 「primal.」は、みんなが会場で「女川愛」のタオルを買い、それを後ろを向く時に掲げたので、意図せず女川への応援をしているかのようでした。いや、応援させていただきました。BiSも歌であれだけやれることがあるんだよ、と思ったし、それは僕ら研究員にも同じことが言えるのでしょう。

 これが当日の泥まみれのライヴ動画です!



 そして中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオ。中川敬が「そら (この空はあの空につながっている)」を歌ったとき、東ティモールのイメージが強いあの曲がなぜこんなに胸に沁みるのだろうと感じました。それはたぶん「どの空も女川の空につながっている」から。「キセキの渚」は、まさにこの「おながわ秋刀魚収穫祭」スタッフの高橋さんとの出会いから生まれた楽曲です。



 女川で歌われた「満月の夕」は優しかったです。2011年3月26日にカーネーションとの「闇鍋音楽祭」で「満月の夕」を聴いて、「音楽に情動を揺さぶられる」感覚をやっと取り戻したことを思い出しました。


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 リクオが歌った美空ひばりのカヴァー「愛燦々」は親しみやすくも洒落たアレンジに。最後に演奏された彼のオリジナル「アイノウタ」は、「この世界はまだ終わらない / オレがここにいるから」という歌詞が胸に刺さりました。



 終了後に中川敬さんに挨拶に行くと、「BiS見に行きたんやろ?」と笑われましたが、いやいや、僕は中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオとBiSのブッキングを成功させた高橋さんの勇姿を見に来たようなものなのです。

 そして、中川敬さんが女川で瓦礫の中のターンテーブルを見つけて、その持ち主が高橋さんだと判明しなかったら「キセキの渚」は生まれなかったし、僕も高橋さんを知ることはなかったでしょう(その経緯は『DJターンテーブルがつなげた思い:日本経済新聞』に詳しいです)。津波ですべてのCDが流されたという彼に、限定盤「nerve」の最後の1枚を含むBiSの全CDを送ることもなかったでしょうし(あのときは女川へ行った長谷川真吾さんが渡してくれました)、僕がこうして女川に来ることもなかったでしょう。

 ......というような話をする前に、BiSが中川敬さんとリクオさんに挨拶に来たので、両者の記念撮影を見守ることに。不思議な光景です。これもまた縁。



#女川 #秋刀魚収穫祭 にて、BiS with ソウルフラワー中川敬&リクオ。... on Twitpic


 グラウンドに戻るとまた豪雨で、女川の中学生によるグランドフィナーレ「さんまDEサンバ」は中止とのこと。

 帰路につく準備のため、会場の出口でみぎちゃんと話していたら、地元の女の子ふたりが僕らに話しかけてくれました。「このためだけに来たんですか?」と言うので、みぎちゃんは「夏の魔物」と「おながわ秋刀魚収穫祭」、僕は「おながわ秋刀魚収穫祭」のためだと話すと、BiSがすごく面白かったとのこと。訛りが可愛かったです。

 みぎちゃんの車に乗せてもらい、TUMAさん、むらっちさん、ピンクくんとともに帰路に。今日のBiSは現在の5人編成になってから最高のライヴだったということで意見が一致。新宿に着く前、最後に車中で流したのはBiSの「太陽のじゅもん」でした。

 「おながわ秋刀魚収穫祭」を開催した女川の皆さん、「夏の魔物」から現場を回したBiS(渡辺マネージャーと辻本マネージャーが機転をきかせて無料握手会を開催したのも粋でした)、研究員の仲間たち、そして僕らの縁をつないで、さらに前日の下北沢GARDENでのライヴから女川へ来た中川敬さん、そしてそして女川の高橋さんと青木さん、素晴らしい1日をありがとうございました!

 すべての縁と出会いに深い感謝を捧げます。


Brand-new idol Society

キセキの渚
 
アイノウタ
 

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