鈴木芳樹くんの通夜のために、妻と江古田斎場唯心堂へ。
お母様が挨拶で鈴木芳樹くんが急性心筋梗塞で亡くなったこと、お母様が見守る中で徐々に冷たくなっていったことなどを気丈に語られていたのが辛く、さらに鈴木芳樹くんのお祖母様からの「そんなに急いでどこへ行ったの」という弔電が読み上げられた瞬間から涙が止まらなくなりました。彼はまだ37歳だったのです。
本人もブログに書いていたように、鈴木芳樹くんはひどい酒飲みでした。しかし、そんな彼の酒癖にいろいろと言っていた友人連中も通夜にはみんな集まっていて安心しました。鈴木芳樹は物書きであると同時に、ネットワーカーだったよ。
僕は普段飲み会ではコーラしか飲まないのですが、通夜ぶるまいでは鈴木芳樹くんが好きだったビールを痛飲。供養のためでもあり、やりきれない気持ちのせいでもあり、久しぶりに吐くまで飲みました。
鈴木芳樹くんとの出会いははっきり覚えています。1999年6月12日に開催された「"UNTITLED" Vol.2」の最後に、金髪のカツラをかぶって「コンピューターおばあちゃん」を爆音で流して踊り狂っていた、いかれたDJが彼でした。やはりそのイベントでDJをした僕と鈴木芳樹くんはそこで意気投合し、やがて彼が「渋谷系元ネタディスクガイド」にも執筆していたライターだと知ります。
その後、カワせんぱい主催で2002年から2003年にかけて3回開催された「輝け! 人生レコード大賞」で一緒にDJをしたり、また鈴木芳樹くん主催で2002年に開催された「メガネスクール同窓会」でもDJをさせてもらうことに。イベントやライヴで顔を合わせることも多かったですし、そして2004年の僕ら夫婦の結婚パーティーや、2005年の宗像家マンション引き払いパーティーにも来てくれました。
鈴木芳樹くんの執筆した記事でコメントさせてもらったこともあれば、彼が原稿を落としたので代わりに僕が原稿を書いてページの穴埋めをしたことも。「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評」で一緒に記事を書くことも多く、先日発売された「別冊宝島1532 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉[ポップス神話創世]」にも彼と僕の原稿が一緒に掲載されたばかりでした。
そして今回の突然の訃報。公私の両面で付き合いの長かった友人だけに、最初は事態が飲み込めずに混乱しました。
たぶん僕が鈴木芳樹くんと最後に会ったのは2006年3月16日の飲み会。その後彼は新潟に療養のために帰郷し、今年2月に再び上京して文筆活動を再開したので、Twitterでそれを祝った記憶があります。メッセンジャーやTwitterでよく会話をしていたので、2年も会ってなかったという意識がありませんでした。
棺の中の鈴木芳樹くんは眠っているかのようだったので、「起きろよ」と言ってしまったほどです。でも、今は「ゆっくり休んでくれ」と言うことしかできません。やりきれないけど、ゆっくり休んでくれ。
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