読売新聞に「建物への落書きは『建造物損壊』、最高裁初判断」という記事が。
公園のトイレにペンキで「戦争反対」などと落書きしたとして、建造物損壊の罪に問われた東京都杉並区の書店員木下正樹被告(27)に対し、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は、上告を棄却する決定をした。
この事件は、2003年4月に杉並区の公園の公衆トイレに、反戦を訴えるグラフィティ=落書きをしたというもの。そのトイレの写真は、ECDのCD「失点 in the park」のジャケットにも使用されました。被告人を支援するgraffiti is not a crime!というサイトも存在します。
この支援運動をめぐる言説を読んでいて感じるのは、「反戦を落書きという手段で訴えることの是非」と「落書きを建造物損壊の罪に問うことの是非」が交錯してしまっているのではないかということです。
僕は後者については議論の余地があると思いますが、前者については、「正義」の名の元にどんな手段も許されると考えるのは、まさに支援運動に関わる人たちが批判しているであろう「ブッシュ的」な発想であり、正当化するのは難しいだろうと思います。
なお、「graffiti is not a crime!」を見ていて気になったのは、「『グラフィティーキラー』使用してみました」というコーナー。「結論:落書きは簡単に消せる」と書かれていますが、ではそのグラフィティは誰が消すのでしょう? そしてグラフィティを消す人の心情はどういうものでしょう? 公共物だけではなく、ビルやマンション、そして個人の邸宅にまでグラフィティという名の落書きが描かれる現在だからこそ、そうした問いは突き詰められるべきだと思うのです。
そうした姿勢がなければ、左派の人々と一般市民の感覚の乖離はますます大きなものとなっていくことでしょう。 「tarochan.net: おまえら働け!とりあえず」(Wayback Machine)を読み返し、改めてそう感じました。
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