近藤令子さんの「tapestry - 私が死んだ後は」を読んで、日常に不意に「死」が忍び込んでくる瞬間の感覚をありありと思い出しました。
でも、私が残した荷物は誰が片付けるのだろう?
僕も自分の残すであろう荷物――例えばこのサイト――について考えてしまいました。
以下のテキストは、2002年に発売された「テキストサイト大全」(→amazon.co.jp)に寄せたものです。「テキストサイト大全」は、出版社・ソフトマジックの倒産によってすでに絶版となっています。
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サイトがローカルディスクに還る日(ある死とテキストサイトの消滅によせて)
宗像明将
あなたはパソコンに電源を入れる。インターネットに接続して、自分のホームページのファイルをローカルディスクからアップロードして更新する。毎日のアクセス数に一喜一憂する。意味がないと思いつつ、アクセス解析を一日に何度も見てしまう。他人のサイトを巡回するのに夢中になったり、飽きたりする。ホームページ上で誰かと罵倒し合ったり、掲示板に隠れて悪口を書いたつもりが相手に見つかってしまったりする。他人のテキストに神経が焼き切れるほど怒って、しかししばらく経つとなんでそんなに怒っていたのか自分でもわからなくなる。インターネットで知り合った人とオフラインで会い、意気投合するかもしれないし、その場限りで終わるかもしれない。恋をするかもしれないし、憎しみ合うかもしれない。
それは、あなたが生きている限りずっと続くかもしれないインターネットでの日常だ。
友人の名と「逝去のお知らせ」という文字が並んだサブジェクトのメールが突然届いたのは、去年の10月、夕方の会社で気だるく仕事をこなしていた時だった。それが意味するものは残酷なほど明らかなのに、即座には事態を理解できないままメールを開くと、友人の死去の知らせが友人の父を名乗る人物から丁重に綴られていた。息子さんの遺品を整理していた時に僕からのEメールを見つけたそうで、それまでパソコンにEメールという機能が存在していることを知らなかったために知らせるのが遅れたとも書かれていた。
でも、これはブラックジョークが好きだった友人のタチの悪い冗談ではないか。そう願っている自分に気付きながら、メールに書かれていた友人の職場に迷わず電話をかけた。人事部につながった電話は、書類を調べるからと少し酷な長い沈黙を用意した後に、「たしかに亡くなってますね」と告げた。
友人が死んだのは、5月の半ば。彼の死を知らないまま、すでに4ヶ月半が過ぎていた。その間に僕は何通かのメールを彼に送り、返事が来なくても特に気にしなかったけれど、皮肉にもそれが彼のお父さんが僕に連絡するきっかけになったのだった。
僕が友人に最初で最後に会ったのは、その年の1月。大阪から上京してきた女の子を囲んで飲んだ時に、2年前から僕とメールのやり取りをしていたものの会う機会がなかった彼も現れたのだ。シニカルでブラックなジョークが溢れ、タチが悪いぐらいにウイットに富んだ文章が、特異な個性を感じさせた彼は、実際に会うと物静かな人物だった。そしてすぐに酔いつぶれて寝息を立て始めた。それが雪の積もった渋谷で会った彼についての記憶だ。もっとも、その後に彼はしっかりホームページを更新して、あることないことをギャグとして日記に書いていたのだけれど。
そして、世間から見れば奇妙かもしれないけれど、それまで会ったことはなくても、僕と彼はオフラインの世界の友人関係に劣らないぐらいに友人だった。もっとも、死という現実に直面してみると、当人以外からの連絡経路が無いという点で、オフラインとインターネットの違いを痛感させられたわけだが。
この世を去る2ヶ月前、友人はホームページの閉鎖を宣言した。理由は遠回しに職場の異動のためであると書かれていたが、お父さんによれば彼は実際にその職場で激務をこなしていたという。過労死なのか、それ以外の死因なのか。しかし、お父さんからのメールで死因は「突然死」と触れられているのにとどまっていたし、死因を遺族に聞くことは無神経に思えたので、あえて詮索はしなかった。
最後に更新された友人のホームページは、こんな文章で終わる。
「いつごろ削除するかについては思案中。さやうなら。」
それから数週間後、今度は友人の妹さんからメールが届いた。友人のホームページが消滅したという。カードからの引き落としが止まって、プロバイダーが削除したのだろう。妹さんによれば、ご両親は息子さんの足跡をたどることで日々をなんとかやり過ごしていたため、特にお父さんはホームページが消えてひどく意気消沈しているという。僕は彼の死を知った後、ホームページが消えた場合に備えて大半のファイルを保存してあった。後から確認すると一部が足りなかったのでGoogleのキャッシュで補完し、欠けていたロゴも他のロゴを透過GIFにするなどして、ローカルで見られるように極力再現し、妹さん経由でお父さんへ送った。友人のホームページを、彼が死ぬまで家族は誰も知らなかったそうだ。
妹さんからの最後のメールには、彼女がお兄さんの文章を読んで悲しみの一番底まで沈んだと書かれていた。「明日は、30歳になるはずだった兄貴のお誕生日です」。そんな一節を目にして、緩む涙腺を気に掛ける余裕もなく泣いてしまった。
ホームページを通して出会う人たちとは、当然ながらそのホームページが存在していなかったら出会わなかったし、その人の存在を知ることもなかったはずだ。しかし、ホームページが存在していることは、現在もその人が存在していることを必ずしも保証はしない。ホームページが証明するはずの誰かの存在は、とても不確かなものだし、更新されていなければなおさらのことだ。
たとえば明日、不意に僕が死んでもしばらくの間ホームページは残るだろう。自分の死が広く知らされた後、多くの人の目に僕のホームページはどのように映るのだろう? 足掛け7年日記を毎日更新していて、ひょっとすると死ぬまで更新を続けるかもしれないと半ば本気で考えている僕は、ぼんやりとそんなことも思う。最後の更新は、僕がそう意図することによって行なわれるのだろうか。
そして簡単にホームページを閉鎖出来る人と、そうではない自分との違いについても考える。一旦は他者に公開したものを簡単に消去してしまう姿勢には苛立ちを感じもするが、その執着の無さを羨ましくも思い、そして一方で閉鎖してもすぐに復活する人には「ああ戻ってきたのだね、ネットから離れられなかったんだね」と微かな落胆を覚えて嘲笑を浮かべたりする。
ホームページを公開したり閉鎖したりすることは、インターネット上でのほんの小さな生や死であり、それは現実の世界での生き方についての願望が極端な形で反映される縮図でもある。
友人の死について自分の日記に書くか書かないか、書くとしたらいったいどう表現するか。迷った結果、僕はその前に起きたごくプライベートな悲しみと重ね合わせて、ナルシズムが混ざることを恐れながらも愚直に悲しみを表明することにした。僕から友人の死を知らされた人たちは、それぞれのホームページで、婉曲的に、あるいは直接的に死を悼んだ。誰もあえて彼の名を書かなかったのは、当時まだ残っていた彼のホームページが好奇の目に晒されることは避けたいという思いが共通してあったからだろう。
インターネットの世界に限ったことではないけれど、自分の知人の死が単なる情報として興味本意に消費されてしまうことは避けたい。僕らもインターネットにいる以上、そうした目に遭う可能性にさらされているのだけれど。
昨年10月に公開された「Wayback Machine」は、96年頃からの世界中のホームページのデータを保存しているインターネットの図書館のようなものだ。そこに友人のホームページも保存されていることに気付いたのは、つい最近こと。膨大なのデータが時系列で保存されている「Wayback Machine」で、友人のホームページは最後の更新の姿のまま保存されていた。ただ、それを見るには鍵を差し込むかのようにURLを入力しなければならない。消えたはずのホームページが今もインターネット上に保存されていることへの複雑な思いとともに、鍵はこのまましまっておくことにしよう。
人生の終盤となった2年間に友人が作成していたホームページは、僕と数人の人々、そして彼の家族のハードディスクの中に今も存在している。
*Wayback Machine
http://www.archive.org/
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