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   理想の図書館 8年7組 宗像郁

 私の理想の図書館はまず床がじゅうたんであることです。Pタイルの床は雨の日にワックスが溶けてぬるぬるして汚いイメージがするし、なにより足音がうるさくたつのでよくないと思います。
 本は全て開架です。これは閉架書庫にも立ち入ることができるという考え方です。全ての書籍を私たちが手にとって読むことができます。区立図書館ならば最低でも10万冊はあってしかるべきだと思います。本を読むための椅子やソファをゆったりと配置することは大事だと思いますが、学習室にそこまでスペースをさく必要はないと思います。そういった役割は公民館などが担うべきだと思っています。図書館はまず本が充実していることを一番に考えて欲しいのです。

 そして未就学児は書庫には立ち入り禁止にするべきだと思います。エントランスすぐに児童書コーナーを配置して、入り口付近で子供が自由に声を出して朗読したり好き勝手に本を楽しむことができるように開放して、それより先、成人向け図書資料とはしっかり分離して子供の声が届かないようにするのです。  赤ちゃんをつれたお母さんなどには不満の声があがると思います。子供が手を離れるまでの短い時間はオンライン予約でカウンター受け取りで我慢していただきたいと思います。
 と、いうのも図書館での騒音はそのままモラルの低下につながります。まだ自我のない乳児が泣けばそこから幼児が声をあげ、そして大人が傍若無人な振る舞いをします。その負のスパイラルを断絶するための未就学児立ち入り禁止です。私自身も小学一年生になって初めて図書館へ行きました。それでなんら不都合はなかったのでそのほうが児童にとっても図書館にとっても良いことであると思います

 図書館というのは利用者がそれぞれ一人一人が邪魔をされずに本を楽しむことができるという空間であってほしいのです。誰からも邪魔されず、邪魔になるようなこともせず、かといってもてなされるようなこともなく、個人が孤立して本を読む場所として図書館はあるべきだと思います。それが私の理想の図書館です。



     と、思っていた時期が私にもありました。田舎の癖になかなか良い図書館で育った私が東京に来て地元の図書館の汚さ小ささ煩さに軽く絶望したので早く建て替えねぇかなこの野郎、立て替えるなら・・・・・・といろいろ想像していました。

 やっぱり図書館は蔵書数が多くてなんぼ、大艦巨砲主義でがんがん大きな建物にもりもり本が所蔵されている状態が理想だと思ったので、実際地元の図書館が建て替えられるときに「最低限の蔵書で、ネットワークを重視」するユビキタス型図書館の方針に死ねよネチズンと呪ったものでした。

 で、もともと感じていたのですがこの図書館がカバーしている地区の利用者の民度が低いみたいで3ページ近くにわたって全ての行にボールペンでアンダーラインが引いてあったり、本の内容と全く関係のない書きこみがあったり、さらにはページが破られていたりするこがあるのです。ある本は本の閉じた部分ギリギリをカッターで綺麗に切り取ってあって、しばらくページが飛んだことに気付かなかったくらい悪質な状態の本もありました。
 地元の図書館なので大江健三郎の「政治少年死す」級の重要書籍があるわけでもないのですが、年月が多く重なってゆけば絶版になってもうどこにもない本が出てくるわけで、文学的に歴史的に書誌学的に重要でないという理由だけで粗末にしてはいけないと思うので、そのへんが紙と公共性の限界で図書館の電子書籍の扱いあってもいいのかなって思うようになり、図書館の小型化も悪くないのかなって気分になり、あれ新しく出来る図書館楽しみになってきちゃった、みたいな。大艦巨砲主義をまさにアメリカのKindleとiPadが叩きのめそうとしてるっていう第二次世界大戦からのポリリズムがまるで恋のようです。

 それに、急に「あゝ野麦峠」が読みたくなったとき、最寄図書館になくて絶望した。村上春樹の1Q84はいっぱいあるのになんで野麦峠ないの?と、急に堀辰雄のロリコン小説読みたいときってあるでしょって、そういうときはサッと借りれないと意味がないのよ。フットワーク軽くあって欲しいのよ!
 でもそういうのってこれから電子書籍が夢を叶えていくんだよね。実際早く作家が死んで50年経って青空文庫に入らないかなって思うときあるし。

 と、いうわけでPerfumeは野麦峠で映画デビューするといいと思う。