baritonesaxOnly foolish girl woman

 処女崇拝キモイって言われるけど、正直16、17の広末は処女。処女でいて欲しい。どうしてそう思うんだろうと思っていろいろ考えた。

 処女崇拝の過半数は「汚れないで!」で、残りが「セックス体験のない女性に対してセックス体験ある自分が上位にたてるっていう征服欲の延長」ではないかなと思います。あとは「女は処女がいいんだよ!」みたいな根拠も理由もない思想かな?まあ予想の範囲内というかそういう話、よくあるよねっていう風に思えるけれど自分が16、17の広末は処女って熱く言いたくなる理由とはまったく違うと思った。
 と、いうのも今の広末が経産婦だろうが実はすっごくどうでもよくって、あの16、17とあと武道館ライブやったあたりのあの神々しい状態が処女だったらもう完璧じゃね?付け加えることも取り去ることも必要としない数学者を魅了する球体みたいな存在じゃないっていう感じ?がしない?そんな完璧なものが存在していてくれてありがとうって土下座させていただきたいよね、この奇蹟が生まれたこの地球に対して。
 でそれってセックスが良いものであろうが悪いものであろうが、あの広末には必要がないんだよねっていうことなんです。なんかセックスしたから大人とかセックスしたから云々っていう変化が必要ない状態、むしろそういう変化を尊ぶ感じがだめなんだよ、だから処女なんだよって感じ。

 これの逆がのっちで、極端なこと言うと私はのっちに生まれたときからよいセックスしててほしいと思うよ。処女受胎っていうか生まれたときから非処女っていう良いセックスしてるからね思想。あののっちが、あののっちの初セックスってそんなことあってはほしくない。ワンアンドオンリーでありながらそれは恒常的に存在するものとしての良いセックスしてるからねって感じなのです。
 ヤリマンとかそういうのとは違うんですよ。何が違うかって私の中でヤリマンっていうのは質より量って感じなんですよね。あと雑。そして病気持ち。これは良いセックスとは勘違いされやすいけれどまったく対極で、質も量もつねに100点でなおかつ無駄がないっていうプロフェッショナルな技術的な面を兼ね備えながら愛という非常に曖昧模糊としたものも満たされているという言説化できない、だがしかし誰がどう見ても「良いセックスしてるからね」なんですよねー。別に私が良いセックスしたいとかそういうことじゃなくて、特別な人間は、のっちは良いセックスしてるんですよ。貴族はパンがなかったらお菓子を食べるんですよ。そういうことなんです。

   って考えると私は「通過儀礼」というのが本当に嫌いなんだなと思います。高校のときも学園祭とかそういう特殊な状況がどうしても好きになれず、毎日の何もない日々の方が楽しいと思っていたのです。結婚式とか派手にするなんてとんでもなく、全て人に委ねていても人を呼んで披露することが仰々しくて非現実的な感じがいやだなーと思いました。そのための独特の緊張感とかも苦手なんだと思います。
 もちろん人は変わっていくのでその節々に「通過儀礼」が存在するのはわかっていますがそれが露骨に表れてくるものや、あと完璧な存在に対しては本当に否定的です。元アイドルが「実はあのころ処女すてましたー」なんていう暴露は私がそのアイドルのオタでなくても、その発言の裏にあるであろう処女非処女の違いを見てねっていう自己顕示欲っぽい感じといいますか境目の存在が見えることがいやなんですよね。台所の引き出しは仕切りがないとダメなタイプなんですが。

 でも矛盾するのが私にとって魅力的な子っていうのは「ストーリー性がある」なので、例えばのっちに20万字インタビューされちゃうくらいに語るほどいろいろなストーリーを完璧な存在であるのっちに添付しているわけで、そのへんはいいのかよっていうとどうなんでしょうね?きっと完璧すぎる計算だからバカはついつい無駄な式を追加しちゃうんでよ。でもその式はパーフェクトスタイルには届いていないんです。だから好き勝手やりたい放題なんです。