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 DJ OZMAの「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の歌詞、「希ボンヌ」を見ると、ああキボンヌって「〜を希望する」の希望からきているんだよなぁと思い出します。でもこうやって書かれると希硫酸とかそういう感じがしてなんともいえません。


 いやぁ、ayumiさんと浜崎あゆみのライブに行ってきちゃいましたよ。baritonesax in Yoyogi with AYU!
 まず代々木第一体育館って広いね!びっくりした。で、2chで「浜崎のライブなんてガラガラ」っていうからさ、それ信じていったらほぼ満席だよ。上のほうまで人がいるんだよ。まだまだあゆはすごいよ。実際ライブが始まっても思ったけれども中吊りになったり縄抜けしたり薔薇になったりでかいケーキの頂上にた立ったり、あゆやっぱりまだまだすごいよ。ここまでやっちゃうのってあゆしかいない気がするんだよね。そしてアンコールで「boys and girls」が流れたら歌わずにはいられないでしょー!

 ちょっとドキッとしたのは開演前にマドンナの曲が流れていたこと。いやいやそういう図太さもあゆらしさとして片付けられちゃうよね。だってver2.0だもん!
 で、アメリカのクイーンで思い出すのが、アメリカのキングオブキチガイ、マイケル=ジャクソン。この前みちこさんが我が家に遊びに来た時(4月16日参照)に東京ベルリン展の「マイケル=ジャクソンの肖像」はよかったって話で盛り上がったんだけど。これにはクイーンと言うタイトルがつけられたマドンナバージョンもあるらしい。日本に置き換えるとクイーンは今のところ浜崎あゆみでいいけど、キングはだれだろう。男子のアイコンがないなぁ。





 なかなかへらない強力粉を処理するために最近手打ちパスタを作っています。何回か作ってみてコツというものを理解し始めた気がする程度に上達したかも!?という気分になっている感じというあいまいな上達をみせております。この手打ちパスタ、いや素人の自分が作ることのできる麺作りで一番重要だがめんどうな工程である「のばして切る」がどうにもダメ。特に手打ちパスタはゆでると膨らむので薄くしないといけないのですが、のばす作業がとても楽しくなくそして大変で結局いつも「ちょっと厚め」になっています。
 そう考えると製麺機って偉大だなぁ。だって製麺機って製麺にしか使えないじゃん。それでもこれだけ発達しているってことはやはりあくまでもマニュファクチャーであって、イタリアのパスタ職人や中国の麺打ち職人や日本のそば屋が「手で作ることは大事だけどもよ、のばして切る部分はもう少し楽になってもよくね?」って思っていたんだなぁと思い、私は今日も麺を打ちます。家でフォーとか作れないかな?(チャングム関係で冷麺の麺を作るところを見たけどあれは家庭では難しそうでした)





 CDTVの新人を紹介するコーナーでアンジェラ=アキに対して「日本とアメリカ。 ダブルスタンダードを持つ、個性派女性シンガーソングライターのアンジェラ・アキさん 」って紹介されていて、でこのことを書くにあたって検索したらこのフレーズがよく出てくるのでおそらく会社が設定したこの人のキャッチコピーのようです。
 で、ダブルスタンダードって誉め言葉なの?私の印象は「一年くらい外国旅行という名の留学をした子が復学して日本の高校制度に文句ばっかりいうような、日本に依存しているのにアメリカマンセータイプ」もしくは、「『やっぱり女は結婚して子供を産んで育てるのが仕事よねー、嫁子さんもいつまで働くつもりなの!?いいかげん子供産みなさいよ!!』でもコトメさんは結婚どころか仕事もしていませんよね?『コトメちゃんはいいのよ!キー!』」 っていう姑のどちらかでダブルスタンダードって言葉を使うんだと思っていたんですけど、どうですか?そんなに私が既婚女性板脳だからこうした考え方しかできないのかなぁ。でもやっぱりダブルスタンダードでいい意味を思いつかない。なかなか気になっていて、実はコピー書く人にとってのアンジェラ=アキの評判が悪くて「こいつむかつくから悪口書いとけ、どうせわかんねぇだろ」みたいなことなのかしらとすら思うようになってきました。





 DJ OZMAの「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の歌詞、「バリバリ☆Sunday Night ラヴラヴ☆Monday Night」以下七曜日分の歌詞はあきらかに「グラマラススカイ」の「稲妻TUESDAY」インスパイヤです!矢沢あい先生のスピリッツはまだ生きていますよ、皆さん!


 以下の内容は私が「複製技術時代の芸術」を読んでいないことが前提にあります。

 個人的に今年度から始まるテレビ放送物で最も注目しているのが「渡る世間は鬼ばかり」です。今回はなにがすごいって岡倉大吉が宇津井健なんですよ。こう書くと意味がわかりませんね。そう、藤岡琢也が病気のため急遽宇津井健が代役としてこの第八シーズンを放送するって言うんです。第一回放送の我が家の緊張感を見せてやりたかったね。冒頭は幸楽のシーンで三十分ほど。いまかいまかと待ち構えている夫婦の前にきたー!改装して客席の増えた「おかくら」のセット、そして鯛に塩をふる宇津井健!一年前(渡鬼ワールド時間)は「ピアノかぁ」ってボケ老人みたいに呟いていた岡倉大吉さんの面影がまったくありません。それはあたりまえですだって別人だもの。でも二時間見ていると宇津井健が「藤岡琢也が演じる岡倉大吉の真似をしている」宇津井健になってさらに「岡倉大吉の真似をしている」宇津井健になってゆくのね。なんだかもうすげえ感動、これが演じるってことなのかしらって。
 この代役、水戸黄門が石坂浩二になったよ!っていうのを話の意味がまるで違うんだよ。今日会社に行って隣の席の人がいきなり宇津井健になってることってありえないでしょ?「水戸黄門」はあくまでも始まりと終わりの世界の中では同じ人物が演じていて、新しく始まる水戸黄門は以前の水戸黄門と続いているとは限らないという条件があるでしょ?サザエさんが永遠のループだとしたら「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」は銀河に広がるいくつもの星雲のなかの地球に良く似た星で行なわれているであろう劇を一つ一つ見ていっているという感じ。でも「渡る世間は鬼ばかり」は離婚や再婚や嫁姑問題を繰り返しながら成長していき、逆行不能な人生劇でしょう。それが途中で人が変わっているのにみんななんの不思議もなくお父さんって呼んでるっておかしい。このおかしさって小学生の学芸会だよね。学芸会も王様(前半)(後半)ってあってさ、芝居中に人が変わるんだけど私たちはそれを当たり前のように思ってみているよね。

 単純に役の記号化っていえばまあ当然なんだけど、視点を変えると「岡倉・宇津井健・大吉」は「岡倉・藤岡琢也・大吉」を複製してるんじゃないかって。うへえ、すげえ劣悪な複製!でも複製の本当に初期、まだ印刷技術という言葉が存在する前の書籍みたいに誤字脱字汚字がある写本でもありがたいみたいに「芝居の複製」っていうのはまだ初期段階なんじゃないかって。いやシェークスピアがいろいろなシチュエーションで演じられているっていうのも「複製されてる」ってことだけれど、劇の最少単位である役の複製って概念あったっけ?よーく考えるとおかしいよね、これ。
 で、この複製技術が進むと結局どうなってしまうことになるんだろう。考えると「浜崎あゆみver.2.0」みたいなことだろうなぁ。浜崎みたいにクリック修正ならともかくメスがっつりいれたりしてそっくり複製するような自体に(なりつつあるけど)なったらもう一度人権について考えないといけないんだろうなぁ。いちいち面倒だね。

 複製していくことっていうのは全ての技術について当然の過程であったんだけど、そうでもないことがおこっている気がします。っていうのも韓国で大人気で今日本でも放送されている「チャングムの誓い」が韓国でアニメになって(これだけでもおかしくてしょうがないんだけど)さらに日本で放送されているんですよ。このアニメがさあ、どうしようもない大人のお兄ちゃん向けの絵柄でチマチョゴリでも強引にパンチラ(そもそもパンツでないんだけど)させようとしたりするから、もうチャングム知っていようがいまいが関係ないくらい面白いものになってしまったよ。
 日本のアニメが「ジャングル大帝レオ」とか「アトム」で始まって、「鉄人28号」から始まるロボットSFと魔法少女が並行に成長しいろいろと枝分かれしていき、ジャパニメーションと呼ばれる外国人が好きそうなアート哲学要素の強いアニメになる一方で目が肥大してパンチラするエロアニメもしっかり市場を伸ばしてっていう過程を経ての「目がおっきいロリアニメ」つうのが誕生したのに、(韓国のアニメって本当しらないんだけど)急に「ロリアニメ」がでてきちゃう韓国ってちょっと危ないんじゃないかな。なんかちょっと恐いなと思いつつこの「少女チャングムの夢」がいつから「動かなくなる」のか楽しみでこれから毎週土曜日欠かさず見ようと思います。みんな、第一回が「以外と動くじゃん」とか「普通にクオリティ高いよね」ってあたりまえなの。問題はそのクオリティが維持されているかどうかなのよ!!