baritonesax

「ビューティフルドリーマー」
 主人に隠れて私と同い年の女性と逢瀬を重ねるという二重生活を始めて長い月日が経っていた。逢瀬を可能にしていたのは二つの携帯と二本の電話回線だった。私は主人の前と彼女の前とで名前を変えていた。完全に違う人生を送ることで互いに隠し通すことに成功していたのである。がそれも昔、私は窮地に立たされている。電話回線を主人によって勝手に一本に、しかも私の回線に代わっていたのだ。この数日間、彼女からの電話はどちらからもない。もし、彼女から電話が来たら私はなんと言おうか。バイセクシャルであるという彼女がもっとも嫌いな単語で私がフォローされるはずもない。それも問題だが主人が彼女からの電話を取ってしまったらどうしようか。こんな展開にするつもりなんてなかった。今まではうまくいっていたのに。こんなレディコミみたいな陳腐な展開になったことに私は歯軋りした。

 でも、私はバイセクシャルでもましてやレズビアンでもないし、結婚してないし、家の電話回線はいつも一本だけだったし、携帯もひとつだけだし、いったいなんなんだと考え出すとただの夢。目が覚めて感じの悪い汗をかく。こんなレディコミ脳なんて見られたら恥ずかしくって死んじゃう。とうもろこしのヒゲで首を吊って死んじゃう。目が覚めると真っ暗でいよいよ映画の本編が始まろうとしていた。「EVANGELION DEATH AND REBIRTH」あやうく本編まで寝そうになるところだった。ああ、やっぱり綾波はいいなぁ。綾波が微笑するところが書き直されてる。ううう、すごーい。私も綾波になりたい。(といったところで絶対に無理。私は肉だってすっごく好きだし、色が白いどころか黒い。髪の毛も黒かったらまだしも陽の光で痛んでぼろぼろ。もちろんアルビノなんかであるわけがない。一年間部屋に閉じこもって色を白くして、髪の毛も青く染めてもきっとそんなの綾波じゃない。髪の毛を白く染めてからメッシュという形でならまだ似てくるかもしれない。でもそんなことをしていたら14歳でなくなってしまうし、なにより私は胸が小さい!)綾波になったらすごくいいと思う。こんな中途半端な退廃感情でなくてもっと希薄な、そう「私にはなにもないもの」がほしい。そうだったら無駄な勉強もしないし、部活だってこんなテニス部なんて入らなかった。暑くてどうしようもないだけの部活。

 みーん、みんみんみんみんー。蝉の声がほら煩わしい。隣の松林にいる蝉がいっせいに鳴くんだよ。ってここはコートじゃない。映画館で、私はDEATH編を見終わっていよいよ新作のREBIRTH編を見ようとするところなのに、始まったのはTHE END OF EVANGELION。そうだよ、私はチルドレン世代の14歳ではなくてれっきとした20歳を迎えようとしている19歳なんだから。ああまた夢か、ではなくまだ夢か。せっかくだから完結編をこのまま観てしまおう。大画面でエヴァを見る機会なんてきっともうないだろうから。大画面で食い殺されるアスカのシーンは二回目では恐くて見れなかったなぁ。二回目なのに。でもなんだか色あせた感じがする。エヴァは永久に色あせることなく名作として残ると思ったのに、私の心が変わってしまったのかな。否、そうではないと私は言いたい。文字と違ってアニメマンガは情報量を積み込める分、その情報が行きかう頻度も他で使われるまた高し。エヴァパクリ、ポストエヴァから巡り巡ってエヴァそのものがエヴァのパクリでありポストエヴァになったような錯覚。そしてこれは映画もまたしかり。後世に残る分だけの価値という点で言えばこうした絵画的デバイスには分が悪いということになってしまうね。だから文学なんですか?先生!

「違います」
 しょぼん。でもわかってたことなんだ。先生には、私の考えていることなんて常識としてすでに存在していてそれからさらに考えるということをされるんだから。だから私がいくら考えてもひらめいても、知らなかったの?と驚かれてしまうだけなんだよね。
「じゃあ、どうして映画はだめなんですか?」
「自分で考えてください」
 考えないこともだめなことも知ってます。あーあ、先生の目に適うくらいになりたいなぁ。っていうのは贅沢だね。せめて今この映画館の喫煙スペースで沈黙しない分だけの会話ができるくらいになりたい。
「いつ出発するの?」
「9月19日です。」
 あれ、また時間軸がずれてきてるよ。まだ夢なの?そうだよね、エヴァ見てたのにミニシアターの休憩所にいるんだもん。おかしいよね、これはまだ夢だよね。今の私でもやっぱり気の利いた話なんてできないから夢でも先生ごめんなさい。もっと勉強して先生と楽しく対等にお話できるようになりますね。
「だったらこれ見るといいよ。」
 はい、この先の展開は知っています。先生がくださった「弥次喜多」は見にいけませんでした。ありがとうございます。行きます。といって、チラシを受け取ったけど実際行かないなんてこと先生だとすごく悪いことのようなします。受け取ってみるとただの白紙。

 白紙だったのではなく夢から覚めたと思った。長い長い夢だったこと。すごくすごくリアルな体験だったなぁとソファから身を起こそうとすると、カタカタという軋んだ音がした。見てみると白い骨がカタカタなっていた。こんな気持ち悪い骨だったら軋んだ音がでるよなぁと思ったら、私だった。老いることも腐ることも通り越して骨になっていた。驚いた拍子に左足に負荷がかかって、中学一年生のときの骨折以来雨が降ると痛む膝は、音を立てて砕けた。重心を失った体はばらばらにベッドに落ちていった。たかが数十センチの距離のはずなのにとても高いところからの落下するショックに目を覚ますとすこし淀んだ青空と白いレースのカーテンがふんわりと膨らんでしぼんでいった。

 しおり代わりに本の間に指を挟んだまま私は寝てしまっていた。初めて蝉の鳴き声を聞いた少しだけ夏らしい午後の、エアポケットのような涼しい時間のつかの間のうたた寝はきっと現実のはず。これがまた夢であっても構わない。




 「千疋屋のフレーバーティーを飲んでいたら『一杯目は通常の蒸らし時間で、二杯目は40分後にお召し上がりください。その間にスコーンをお召し上がりになればとても楽しいひと時が過ごせますよ』といわれたんだけど、スコーンをあっという間に食べてしまって手持ちぶたさになってしまった。なっちゃんのおばさん(という名前の友人)は40分かけてスコーンを食べて、二杯目を一緒に楽しんだのだけれども、私は食べるのが早いのだろうか?」なんていうメールが母から届く夢を見た。夢の中で私は「まるでサイトの日記からコピペしたような文章だぁ」と思って、母がサイトを持っているのではないか、私のサイトを見ているのではないかと疑っていた。
 なんだか自分の家のマルチメディア化が進んでいる夢を見るのは、そこに、確かな予感を、感じていたのでしょうか?  



 ソニンがストーカーというか単に男に痛い目をみた女を力演しているTBSドラマ「元カレ」ですがこのHP、主役堂本の写真を一切使えないところが可哀想でしょうがないです。そしてソニンの役は「予備校の事務職員」です。見る人が見れば、主人公たちの勤務しているデパートは「東急」だというのがわかるし、ソニンが勤めている予備校というのは、まぁ名前も出ていますが河合塾です。
 これでも私、優等生だったころというものがありまして、その4年間、付かず離れず河合塾がありました。そう、夏といえばエヴァと塾なのでエヴァについては当然後述します。やはり夏などは夏期講習があり、私は皆勤並みに足を運び、事務室に居座り、飴をくすねて、自分のデスクまでもらうというなつきっぷりでした。チューターと呼ばれる大学生のバイトのつまり、このドラマでのソニンの仕事をしている人たちとも生意気に口をきき(もちろんそれは気に入られている、気に入られるためという前提条件)夏期講習含め全講義内でのトップの成績ではなく権力を持っていました。というのは言い過ぎでもないです。中学三年生にもなれば、私が一番古株でしたから。そんな思い入れのある河合塾がたびたび映るので胸がキュンとします。まじでぇ。
 ところが地元では、私鉄とケンカして特権であった「塾生は学割定期」が剥奪され地方にあった分校もすべて県庁所在地にある学校にいけと半強制的なお達しがでたようです。つまり実質的には私の通っていたあの塾はなくなり、今講義が行われているのも小六中三だけのようで、来春には完全に閉校です。廃校になった母校を持つ人のような気分です。くすん。

 というわけでもないのですが、私が考える気に入られるための行動として「相手のレベルに合わせた会話をして、さらに深みに突っ込むことでより親睦が深まる」というものと「まったくの無知で相手を質問ぜめにすることによって親睦を深める」の二種類があると思います。簡単にいうと、「よくわからない覚えたての専門用語で話して満足げな心理学部の一年生」と「どちらかというと不良で学校に迷惑かけまくりなのに先生に気に入られてるやつ」ということです。やっぱり私は前者だと思うので、河合塾時代はとてつもなく優等生でありたかったし、あまり成績の良くない露出度の高い標準コースのやつが先生と話しているとむかっときたりしましたし。でも実際のところはどうなんでしょう。優等生は逆にむかつかれるということも、中学校でいやというほど知りました。てか自分から嫌味をいったりして楽しんでいたんですけどね。
 自分はやっぱりできの悪い子にはイライラするし。あ、優秀なライン上でのできの悪い子っていうのは大歓迎だからやはり前者かぁ。そんなことも考えなく、面白いことを言おうという意識もなく、自分が興味のないことでも相槌を打つとか興味を持ったフリをするとか、偏った話題を持ち出さないくらいはできるような公共性を持つようになりましたが、やはり、好きな人のまえでは優等生で気に入られたい。偏ってマニアックになりたい。「はやく卒業したいー」というなっちの声はどうにも感じない。はやく、腐る前に枯れてしまいたい。




「ソニンまにあ」好評発売中!  なんだかんだ叫んだって、ソニンはテレビに映っている並みには可愛い。と、思う。というのが私の「ソニンまにあ」の感想です。たぶん、世間的にも「ソニンってさ不細工!」ってわざわざ話題に切り出してくる人っていないと思う。というのはソニンオ知名度もあるけど、顔がそこまで不細工ではないというのもあるわけで…。なんとなく、島谷ひとみよりはすごいような気がするわけで…。

 私アイドル写真集というものは表紙が固くて、カバーと帯がかかっているもののことを指すのだと思っていました。「月刊安達祐実」みたいなものは写真集ではないと思っていました。別冊宝島の扱いと同じで、雑誌にも書籍にも入らない可哀想な存在だと思っていました。で、ソニンの写真集もその可哀想な存在形式なので可哀想にと思ったらこれもアイドル写真集って言うそうです。へぇ。
 なにがすんばらしかったってアルバムが売れることを想像したうれし泣きができるという事実。私も歌手とか音楽家になったらそういうのがわかるようになるのかしら?涙とはどういうものかしら?





「夏の読書感想」
 中途半端な青空が窓枠の隅で自己主張をしている。私は快晴だよ、と自殺前の少年みたいに。網戸からろ過された風がただただ入ってくる部屋の中で、私はダークブラウンのソファの上でうたたねをする。奇麗でない風が髪の毛を少し汚す。寝ているような起きているような狭間にいて、青空自殺少年のよわよわしい叫びを無視する。青空自殺少年が自殺する夢を目をしっかと開いて見届けてやろうじゃないか。死のその一点は真っ白。つまり全ては白昼夢。
 商店街の有線放送が私の耳にゆっくりと近づいて、そして離れる。自分も自分の昔も自分の未来も遠ざかる。この今の一点から全てが遠ざかって、それは普通こういう言葉でいわれる。「忘れる」
 恥ずかしいこと嫌なこと感動したこと泣いたこと離れたこと辛いこと苦しかったこと喜んだこと嬉しかったこと裏切られたこと怒ったこと疲れたこと不快感を感じたこと、生まれたその瞬間からこのカウントしている今の時間までの環境を人間たちを五感を全てを「忘れる」これは死である。これが死でないとしたら死ぬということはどうなってしまうのだ?

 中指ではさんだ文庫本はゆっくりと滑り落ちて、奇麗でない風がまだ私の指紋がついていないページをさらさらと汚す。嘘つき女が自分のついた嘘のために死ぬ話だ。話の主題はその女の「病的なまでの」虚栄心と「無駄に緻密な」嘘の数々が彼女自身を破滅に向かわせ、例え嘘がばれなかったとしても会話の潤滑がよくなるだけであって空回り以外のなにものでもない。というところだ。これで百字要約をすれば10点満点中これで7点といった塩梅。
 こういった試験で、その問題の意図がよめる。この能力を試したいということがわかる。かといって自分は優秀だとは思わない、むしろ邪魔なものでしかない。なぜならひっかけようとする答えや全く正反対のことを考えようとするからである。私のこの本の感想は死。嘘や贋物なんてことよりも、この死にそうな快晴に文庫本の話を重ねてしまった。さっぱり見当違い。なにより、この話の主人公は女だしね。
 さて私の青空少年はどうやって死んだのか。それが全くわからない。飛び降り、首吊り、薬物と、脳内完全自殺マニュアルを紐解いて検証すれどもどれもぴんとこない。ただこの青空はとても貧弱で弱弱しい、いじめられキャラ。ジェンダーの転倒?そんな陳腐な暗喩はいい加減もう飽きた。なんだか目が冴えてきてしまって青空少年は影を潜め、奇麗でない風は美醜もなくただのぬるい温度を運んできた。夢から遠ざかる。「忘れる」

 ソファの付属品であるクッションにクッションとしての役目を与えて私は再び本を読む。曇っている空、湿度の高い風、平日で休日の一人でいる私。素晴らしく不愉快なゴールデン・アフタヌーン。やるべきことは沢山ある。幸い時間も沢山ある。私はルイス=キャロルのように少女たちの儚さを惜しまない。なにも惜しまない。素晴らしい瞬間は私自身が存在することでまかなわれているからだ。他人から歓喜をせびらない。与えられるものを快不快から網状的に分類する。不快であっても、私には「忘れる」という仮死体験でどうにでもなる。もう一度息を吹き返すときはそう、みんなも同じでしょう?ベッドから起きる時のように。そうだ、もうすぐ夏がくるね。

 夏の衝動。青空少年は自殺したのではない。私が殺すのだ。夏の衝動の序章として、弱弱しい青空を締め上げる。罵倒し、めちゃくちゃにしてそして殺してしまう。死なせやしない。虐殺という札をかけて町中を歩かせるような辱めににた。そして私の破壊的な夏が始まる。暑い日差しは私を串刺しにして、私は目で浮浪者を殺す。木陰の冷たさは私に触れた人間を凍らせてそのまま北海に沈めて石油にしてやる。暑さで頭がおかしくなったかのように見せてインドに放火してカースト制度を根本から壊してやる。
 「夏は破壊的だね。でもその攻撃的な衝動は全部夏のせいにするにはおかしいよ?そうだねー、人格が崩壊しないかわりに世界が崩壊させるって感じだね。こんな人間が大統領候補になるんだろう。よかった私がバカで。自傷系ならぬ他傷系。田舎公立中学生の不良と同じかぁ。それも貧弱な話。」
 と、少しだけの正常が囁いた。そうかもしれない。

 もう十八時だ。まだ夏でないから外は暗い。夜ご飯は何にしようか。彼がおなかをすかせて帰ってくる。私もおなかをすかせて待っている。二人で夕食を食べて片付ける。夜ご飯はそうめんにでもしようか。もうそろそろ夏がくるしね。

 星新一のショートショートで夏になると飼っているペットを(それがだんだんエスカレートして最後には妻になるっていうオチなんだけど)殺してしまう男が警察に事前に出頭するっていう話があったなぁ。私の元ネタはそこか。古本屋さんでは100円で売っていたような。なぁんだ、そんな安っぽい衝動なら読書感想文にでも使って参加賞の蛍光ペンと交換してしまえ。さて、ガスの元栓をあけなければね。




 なんて意味のないうわっつらだけの文だ。文字がかわいそうになるね。この世の中にある全ての書籍のようだ。




 2003.07.15
 おめでとう






 自分がソニンファンだからという贔屓目に見て、ライブに感動してしまいましたがでもやっぱり素晴らしかったと思います。一度死んだ人間の復活劇は新約聖書からもわかるとうり人気があるお題目なので、一般の方も楽しめるはずです。きっと。例えば今、推定少女のかたっぽ主演の幼児ポルノが発見されて推定少女が解散したら、もう片一方に思い入れが強まると思うはずです。ん?
 復活劇としてのソニンという演目を一般の方にも白い目で見られないように説明をすると、まず、曲目の約半分と言っていいほどEE JUMP。アルバムが出ているんだからアルバムの曲だけでもライブはできなくもないような気がしないんですが、半分EE JUMP。EE JUMPの曲は「いーじゃん」とか「いーいー、じゃーんぷ」とかユニット名連呼型なのでそれもそのままに。なんといってもユウキラップがすべてカラオケで会場にがんがん響き渡ります。あーいぇ、あーいぇ!(自分が左スピーカー下にいたということもありますが)抹殺された芸能人がこうも蘇ってくるなんて田代まさしを考えるとありえない、まさにありえない。っていうかユウキをありえないこととして曲を流している気がしないでもない。
 何もないステージで七色のセロファンからの光のみを受けて歌う、少ししゃべる、踊る歌う(ユウキラップ)歌う歌う踊る、少ししゃべるソニン。怒涛という言葉はこういうときに使うべきだと感じました。私、今後一切怒涛という言葉は使いたくないほどに。自分は及川光博のライブしかいったことがないし、スタンディングはこの前のデトコペが初めての体験だったのでこういうものなのか、いや違うだろうと狂った頭で考えていました。
にしてもソニンのリバウンドなのか、もとからなのか、痩せているのか、なにがなんだかひっちゃかめっちゃかなそのおなかは、生で見るとちょっとやらしいです。太ももも同じく。ソニン汗が飛んできそうな位置にいる私は、髪が乱れたソニンがこっちに近づいてくるとテンションはマックスに。そして遠のくと沈静化。これはなんだ。世界情勢か!?自分がよく聴いていないアルバム曲でもノリノリなのでソニンくらいなら案外どうにかなるんだなぁと思いました。たぶん、モーニング娘。のシャボン玉のほうがよく聴いていると思います。「しゃぼんだまぁ〜」
 前半のネガティブソロ楽曲から一転、後半はEE JUMPのヒップホップチューンで狂わせてくれたソニンですが、「ADA BOY & DA GIRL」のイントロが流れてくると狂った人間たちがさらに狂乱!未発表曲にも関わらず大盛り上がり。なんだか奇跡を見ているようでした。そして私のお気に入りの「青春のSUNRISE」のイントロが流れてくると臨死体験に近い光の洪水。ああ、ベアトリーチェよ!愛は光、光は全て!私は感じる、その光を。
 今日のライブはBSで放送されるそうです。本日最終日には蛭子能収様(一階席)、京本政樹様(関係者席)、和田薫様(ホール)などなどたくさんのお客様にも恵まれたようです。よかったね、ソニン。
 ライブ最後にソニンは丁寧にスタッフ一人一人の名前をあげ、最後に「ユウキ」の名前もあげました。事情を知る、通常の考えを持った人間ならば「お礼と言うか、この場(九月にBSで放送されるため撮影中)で、ユウキなんて死ねよこのやろう」といっても いいんだよ…」と思うでしょう。でもこうも何故ソニンは感謝するのかと長年の疑問でしたが、ついにその謎が解かれました!解いたのは私ではないのですが。
 ソニンはユウキにばっちりやられちゃってるんですよ。え、私は二人は絶対に恋愛関係にないって豪語してたじゃんって。そう、恋愛関係にはないの。ユウキのことだからパンの耳感覚で食べたのよ。市井の延長で。でもソニンとしては朝鮮学校を出て、オーディションを受けて、初めての日本社会(つんくを頂点としたヒエラルヒー)、初めての男性(和田マネとかつんくとか)、初めての男の子(ユウキ)…。こういうやつらが「日本」としてインプットされてしまったわけです。そしてそれをアウトプットする機会もないまま。で、キャバクラ解散でソニンはEE JUMPと共に空中分解。自分の再起をかけてのマラソンもドミノもマグロ漁船もすべてユウキを想ってのことだったのでしょう。こうして辛い目を追わせたユウキを憎むよりも先に愛情が膨らんでしまい、逃れられないDVを受けている妻の状況です。まさにそれ!でなきゃドミノでのあんな人格崩壊を乗り越えられない!(始めから人格なんて存在していなかったという説は保留)なるほどなぁ、そして今後も明るくないなぁ。がんばれ、ソニン。


 そのまま角界著名人と共に中華を食べました。EE JUMPの出なかったアルバムの表紙にひっかけてチャイナドレスを着ていったんですけど、店員に間違えられるかと思いました。という感じの中華です。円卓。
 みなさん、それぞれソニンに対して大なり小なりの意見を交わして非常に楽しいお食事でした。でもその楽しさはどこか刹那的でそれはやっぱり「ソニンは『次はもっと大きい会場で会いましょう』と言ったけど、もうないんじゃないかなぁ」ということですよね。私も同感です。で、ソニンの異常な前向き加減といい和田に悪いように自己啓発されているなぁと言い合っていたのですが、そこで重要な事実が。実は私たちはソニンのライブを見に行ったのではなくて和田セミナーに参加していただけなのかもしれないです。つまり、和田が神、ソニンは見事な復活劇を見せたキリスト(生贄)そして私たちは12使途でしょうか。数もちょうど12人でしたし。でも、経典内容やら不透明な部分が多すぎです。助けて、神(和田)様!




 なんだか一日があっという間に過ぎて、そして一週間が終わっている。暇があったらやろうと思っていたことがことごとく保留のまま流されている。そういったことに対して一時は異常な焦りを感じていたけど、今ではそうでもない。自分には時間がたくさんあるし、保留にしてはいけないことは保留にしないでいるから。例えば愛することだとか。





 こんにちは、えと、こういうところ初めてで。あの緊張って言うか、慣れてないっていうか。わたし、あんまり人と話すの得意じゃないんでやっぱり恥ずかしいっていうか。でもやっぱりこんな自分、変えてみたいし、なんかここならできそうだなって思ったんです。
(いえ、あなたは素晴らしい人ですよ、こうして一歩を踏み出したじゃないですか。)
 そんな、全然!まだ一歩だし。クラスでもやっぱり地味って言うかあんまり話しかけられないし、今の職場だって、邪魔というか透明人間みたいで。こんな私じゃ、しょうがないかなって思うんですけど。でもやっぱり胸の辺りが苦しくなるんです。寂しい、っていうか。
(それはそうでしょう。)
 私も周りの子のように楽しく話してみたいんですけど、私が話しかけるとみんなひきつった笑いとかして。やっぱり私、楽しい人間じゃないからなんだなって。私、特技とかないし、あ、でも、本を読むことは好きなんです。でもこんなの地味ですよね… (読書は心を広くしてくれます。素晴らしいことです)
 ありがとうございます、人から誉められるなんてはじめてだから、なんか、心がふっと軽くなったっていうか、誰もそんなこと言ってくれないから。
(あなたはもっと自分に自信を持つことが大事ですよ。)

 お見合いとも、カウンセリングとも、宗教とも、独り言ともとれる依存と耽溺の図式。そのすべてがこの表情に集約されている。彼女の名はソニン。




 幸せとはなにか、真剣に考えたい。幸せというものは空気と同じように常に身近にあるものだと思う。それを多く吸える人と吸えない人の差にあるのではないだろうか。ちなみに、不幸せな出来事とは往々にして自業自得だと思う。つまり本来ならばゼロの地点にいる私がなにか自分の首を絞めるようなことをすると不幸せになる。意識して幸せを吸うよう(周りに目を向けてみるよう)にしてみると幸せになる。幸せになれない人は呼吸がうまく出来ない人のことで、吐くばっかであったり、吸うことができなかったり。どちらにせよ死に至る病というわけだ。しあわせこいこい。幸せなんてそこらへんにあるんだよ。ちょっと君に問題があるんだよ!もはや幸せになれないという天賦の才能かもしれない。うひー、いらない!
 ちなみに、私は今、水キセルが吸いたいのですがあれは違法なのですか?

 昨日に引き続き、今日も鮮明な夢を見る。なぜか体中にあるかさぶたから血が出てきてしょうがないという夢。昨日の火事といい、今日の出血といい、これは夜尿症の前兆かもしれない。だとしたら人格崩壊の危機にもあたるできごと。どうにかしたい。しなければ。よくわからない焦りが私を襲う。

 今、個人的にキリスト教がブーム。ぼんやりと考えているとなんだか自分が偉そうに感じる!こうして自信をつけます。あとは、ソニンを見たりして自信をつけます。




 すごく天気がよかったので一駅分歩いて本を買いに行ってきました。少し曇っているものの夏の予感のような日差しが照りつけるので、今年は帽子がほしいなぁとか思いながら日陰を歩きました。そこからは留まることのない自分の物欲を列挙する意味のないことをしていました。暑いのでアイスを買います。物欲リストのアイスの項目を赤の二重線で消しました。本を二冊買って家に帰ります。物欲リストをゴミ箱に捨てて、作りおきの紅茶を飲んで、だらだらとすごす。なんとなくくっついたり、なんとなく本を読み始めたり。あ、メルローズのティーポットはたしか実家にあったなあと思って、今度電話して送ってきてもらおう。



 最近どうも夢を見る。絵画の集合体というものではなくて、人生のような起承転結のある夢、しかも漠然とした不快感のある夢。今日は妹がパソコンの説明書を片手に(しかもところどころ蛍光ペンでマーキングしている!)本気でメールソフトに自分が取得したアカウントを入力しようとしていた。この前はバイト先の人々にこのサイトがばれた。なんとも言えない不快感に襲われながらも、私はがんばっていると思います。あ、洗濯物たたんでない。





とっても「普通の恋」
 「あんなやつ呪われてしまえ」と彼女は私にお願いした。たしかいつもは、可愛くなりたいとか、愛されたいとか、お金がほしいとか、合格していてほしいとかだったのに。うたたねしながら聞いていたらびっくりしてお茶をこぼしてしまった。関東地方は突然夕立に見舞われて多くの人が「傘をもってこればよかった」とぼやいた。そんなウィスパーボイスの合唱の中で私は彼女を見ると一人寂しそうにテレビを見ていた。
 彼女はいつも不安げで、不安げだと思われることに不安を感じていて、全てのものが羨ましくて、ちょっと怠け者などこにでもいる女の子だ。私はいろんな人をみてきたけれど、彼女もとりたてて記憶に残るような子ではなかった。私だって人が思っているほど万能でもないし、世界史の教科書までの記憶力が精一杯だよ。ただ驚くことは多々あるけどね。だからこの仕事はやめられないんだと思う。私を驚かせるのは突拍子もない行動が私を動かしている原動力といっても過言でもないね。でも悲しい出来事はごめんだわ。私にだってやりたくないことはあるんだから。
 彼女は悪夢を見る。そしてそれが原因で胃が痛くなるとも友達に漏らしていた。もちろん、私はさっきも言ったとおり万能でないので、私ではなく精神科の薬とカウンセリングを頼っていただきたい。しかし彼女は病院には行かず、しゅくしゅくと泣き声をたてる胃を押さえて学校へ通っていた。彼女の原動力は他のいろんなすべての女の子たちと同じように「寂しさ」他ならない。これもとりたてて驚くべきことでもない。
 人の悪意もさほど気にしなくなった。私に対しても、私に全く関係のない悪意に対しても。これは慣れといってしまってもいいかもしれない。恐怖も同じく。私はそれを受け止める存在ではないんだ。そういうことはすべて数多ある精神外来におまかせしているのだ。けれどこの「呪われてしまえ」という使役かつ呪いという効力が未知数なものに真剣になるなんて、なんて自分勝手で切迫してるのだろう。あまりに突然で馬鹿馬鹿しい真摯に私はひとつアクビをして応えた。
 そう、君はどこにでもいる、他に代えも利くなんでもない普通の女の子なんだ。だから彼女らしい、驚くに値しない普通の恋をプレゼントするよ。普通に恋をして手を繋いで、普通に抱き合ってケンカして泣いたり甘えたりする、何度も聞いたことあるつまらないお話のような普通の恋をね。





 私、中学生の頃ソフトテニス部でした。ソフトなテニスって言うのはボールがソフトでぷにぷにしていて、テニスのように打ち合うスポーツです。ネットをはさんで行うゲームのスタートと同じようにサーブを打ってゲームは始まります。そのサーブというものが難しくて、入らないものなんです。どうすれば上手になるかというと、単純にサーブが入るように打てばいいんです。毎回同じように、構えて、ボールを上げて(これをトスと言いますが)、ラケットを振りかぶって、打つ。これを常に体に記憶していつも同じようにするのです。そのために練習をするのです。これは勉強にも同じようなことがいえますね。この「自分ができた時」というのを早く覚えることができる、というのが優秀を意味するのですね。なかなか覚えられない人は何度も何度も練習をしないといけないですから。
 この反復記憶するための集中力というか、すべてにおいて集中力というものがかけている私は反復の重要性は誰よりも理解しているつもりです。つまり反復。毎日同じことをするということで応用や変更などが容易にできるのです。学校に所属しているとわからないのですが、こうして一人になるとなにをやるにも制限が消えてしまって自堕落な生活になってしまうんです。では何故毎日を反復できないのかというと、見張りがいないからに他ならないのです。反復記憶の集中力がない人間は監督を設けることによって強制反復記憶をせざるをえません。この辺は予備校や塾などがサンプルとしてもっともふさわしいです。(人のせいにしていると言えるかも知れませんが、一人の人間が存在する上で他人という存在を完全に忘却するということは不可能ではないですか?人は一人では生きていけない、ではなく他人が存在してこそ自分という依存スタンスを正当化。)
 以上のことを踏まえてその監督というものをインターネットに依存できないかと。つまり毎日更新。更新するにはご飯を作り、食器を洗い、ゴミを片付け、その日ひとつなにか家事をするということ全てを自分に課す。そして反復する。

 今日ウインブルドンを観てましたけど、タトゥーを思い出しました。よくスポーツみたいなセックスって言うじゃん。タトゥーってそんな感じだよね。しかも爽やかでない感じの。




 私はあの子が好き。とっても好き。一番好き。私よりも好き。世界でなによりも好き。だってとってもきれいなんだもん。
 他の女の子がいっぱいいて、頭半分も見えていなくてもきっとあなただって、私わかる。だって全然全く違うんだもん。あなたと他の女の子が一緒のものだなんて思えない。私と同じだなんて思えない。あなたはきっと朝焼けの光を浴びた雫だとか、澄んだ水のそこにある透明な水晶とかでできているんだと思う。でもそんな言葉でもたりないの。うまく言えない。あなたのきれいさに合う言葉なんてない。
 でもね、私は女の子だし、あなたも女の子。どうして私たちは女の子なのかわからない。でも、あの子が男なんかになるなんて信じられないし、許せない。汚い汚い男になるなんてありえない。あなたはきれいなものの塊なの。他のなによりもきれいなものなの。
 そんなあなたに彼氏が出来たってすずめみたいに周りの女の子が騒いだ。あなたは男の子なんかに触っちゃだめ。よごれちゃう。でも私はいいの、私は汚いの。だから男といたって平気だし、あなたにだって触らない。でも一番好きだよ。今こうしてあなたの彼氏としていたって、あなたのこと好きなのはまったく変わりないよ。

 あなたは彼氏と別れたね。私知ってるよ。六限の最中にメールで知ったよ。あなたはいつものそのきれいな笑顔のまま私に挨拶してくれた。「ごきげんよう」って。きれい、とっても。私は今から病院にいってくるけど、これもあなたが好きだからなんだよ。